私と中国〈896〉

16年間の中国生活を 生かして

大谷 茂義さん
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 1942年、14歳で「満蒙開拓青少年義勇軍」に参加した大谷さんは茨城県の内原訓練所を経て、「奉天省」昌図訓練所と「黒龍江省」泥秋訓練所で延べ3年間の厳しい訓練期間を過ごしました。
 しかし、1945年に開拓団に移ったその矢先、ソ連軍の侵攻があり、魔の逃避行を経験。30数日間に及ぶ塗炭の苦しみを経て、やっと、牡丹江近郊の新安鎮という農村に難民として収容されました。
 1年を過ぎたころ、夢にまで見た引き揚げが始まりましたが、運命のいたずらか、折角のチャンスにも見放され、日本に帰れず、鶴岡炭鉱で7年間を過ごしました。
 この間の1949年3月、落盤事故に遭い労働ができなくなりましたが、幸いにも小学生の頃に習った「そろばん」が大変役に立ち、その後の運命を大きく変えることになり、炭鉱の会計科で給料計算員として働けることになりました。その後も、大学の財務科、人民銀行と職場は変わっても会計の仕事に「そろばん」の能力が生かされました。
 日本への引き揚げが13年遅れて1958年になりましたが、新中国での体験は引き揚げ後も、30年間勤めた農協の仕事に生かされ、また、退職後も中国との「珠算交流」のために、「中国珠算教育問題研究会」を立ち上げ、草の根の交流を22年間も続けています。
 最近これらの体験を『人生そろばん街道をゆく』(一人の満州開拓青年義勇隊員が歩んできた道)という手記にまとめ、大阪の「清風堂書店」(TEL06―6313―1390)から出版しました。(東大阪市在住、東大阪支部会員)
(廣原資泰)



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