中国残留法人帰国者2世の問題とは何か?

中国残留孤児・婦人2世の問題とは何か?

中国残留孤児・婦人(以下、「帰国者1世」)の帰国後の生活支援等を行うため、「中国残留邦人等の円滑な永住の促進及び帰国後の自立の支援に関する法律の一部を改正する法律」(新支援法)が成立し、また、その後、中国帰国者1世の配偶者の生活支援等を行うための新支援法の一部改正が行われました。しかし、帰国者1世の子供たち(以下、「帰国者2世」)に対しては、何らの法的支援がなされていません。

多くの帰国者2世は、日本政府が帰国を制限したことによって、高齢になってからの私費帰国を余儀なくされました。日本政府は私費帰国者に対しては就労支援も日本語習得支援も行わなかったため、言葉の壁や高齢により、低賃金の単純な肉体労働の仕事にしか就けず、新支援法が成立する前の帰国者1世と同様に、老後を支える貯蓄も年金もないまま生活保護に頼らざるを得ない状況となっているか、もしくは、仕事ができなくなれば生活保護に頼るしかない状況となっています。さらに、多くの帰国者2世が、日本語でコミュニケーションを取ることができず社会の中で孤立し、憲法 25 条で国民に等しく保障されている「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」ことが出来ない状況に置かれています。

帰国者2世は日本と中国にルーツがあり日中友好の架け橋になれる大事な存在です。この帰国者2世が人間の尊厳を回復し、日中友好のために活躍できる場を作ることが強く求められています。

1世と2世の支援の格差

1世・特定配偶者への支援

中国残留邦人帰国者1世に対しては、2008年に新支援法が改正され、生活支援給付と老齢年金の満額支給(月6万6000円)等が行われています。

2014年からは、1世と死別した配偶者に対しても配偶者支援金(月約4万4000円)が支給されています。

2世への支援(ほぼ皆無)

私費帰国の2世の多くは、新支援法・施行規則上の「家族等」の定義から除外されており、日本語がままならず安定した仕事に就けません。

高齢化した現在、年金も低額で生活保護に頼らざるを得ない、支援法改正前の1世と同様の過酷な状況にあります。

この問題に対し、日本政府は、戦後生まれの2世については「今次の大戦に起因して生じた混乱等により本邦に引き揚げることができず引き続き本邦以外の地域に居住することを余儀なくされた」(支援法1条)という特別な事情がないなどとして、2世への老後の支援等を拒絶してきました。

しかしながら、そもそも、2世の多くは、日本政府の戦後の1世に対する帰国支援の欠如、帰国妨害の結果、1世の帰国が30年〜50年遅れ、その遅れがそのまま2世に影響し、30〜50歳になってからの帰国を余儀なくされたものです。

また、日本政府が、家族の繋がりを無視して、1世と国費同伴帰国できる2世を、原則として20歳未満かつ未婚に制限した結果、2世の帰国は余計に遅れてしまったものであり、この政策も誤りであったといわざるを得ません。

さらには、私費帰国の2世は、帰国後も、定着促進センターに入所しての日本語教育などの支援も受けられなかったもので、これ自体、自立を促す観点からは誤った政策であったといえます。

その結果、2世は、1世の配偶者と同様に、1世と「長年にわたり労苦を共にし」(新支援法1条)、1世を支えるために永住帰国した経緯があり、かつ、日本語が不自由で、老後の蓄えもない状況が2世にもあり、「自立の支援を行う」必要がある(同法1条)にもかかわらず、過酷な状況に陥ってしまっているのです。

このように、2世の現状は、戦後の日本政府の誤った政策が招いた結果といえるのであって、日本政府の責任において改善すべきものといえます。

帰国者2世の訴え&支援者の声

2世の悔しい思いと苦しみを繰り返してほしくない

NPO中国帰国者の会 大塚栄子さん

 私は「残留婦人」である母鈴木則子(終戦当時14歳)と中国人の父との間の末っ子で、姉と兄が二人ずついます。 母は日中国交回復後に、大変な苦労の末に私を連れて帰国しました。 日本政府は何もしませんでした。 帰国者には男女差別もあります。 帰国者1世が男性の場合、2世などの子孫はいつでも日本国籍が取れますが、母が残留婦人である私のような場合は父系主義の国籍法によって「帰化」するしかなく、日本語能力がなければこの「帰化」も困難で、毎年在留資格を更新しなければなりません。 姉の年金は月5万円しかなく、生活保護とあわせて月9万円での生活を強いられています。 日本政府が長年にわたって母たちを放置した上に、女性差別の法律で苦しい生活をしている2世がいることを忘れないでください。

尊厳ある老後の生活を

九州中国帰国者2世連絡会 会長 小島北天さん

 私は1997年に50歳で帰国しました。 自立研修センターで8か月間、日本語を勉強しました。 帰国者2世は日本語がわからないため、低賃金、過酷な仕事を余儀なくされてきました。 私が正社員として仕事ができたのはわずか4年です。 他は草刈りや皿洗いなどいろいろやりました。 不景気だと最初にクビにされ、私も仕事を6回変わりました。 帰国が遅かったので、年金は約1万円です。 生活は苦しいです。 帰国者2世の生活保護受給率は62.3%です。 老後の生活は厳しく心配です。 現状を変え、尊厳ある生活を送るため、日中友好協会の協力の下、政府に問題解決を求める請願署名活動を行っています。 みなさんの支援が私たちの尊厳ある老後の生活をもたらします。

二世の心の声

中国帰国者長崎県二世の会 会長 宮崎一也さん

 1998年、妻と子供と一緒に母の故郷である長崎市に帰ってきました。 母の願いで私達3人は日本国籍を取るために帰化しました。
 長崎県二世の会は、2019年に組織され、会員は110世帯(157人)です。 大多数の人が帰国後、日本語学習を受けることが出来ず、差別され、孤立しています。 重労働の仕事しかなく、給料は少なく、八割の人が鬱病になっています。 生活は苦しく、生活保護費は下げられる一方です。 墓参りで中国に行く期間も短縮され、2週間が過ぎると少ない生活費から減額されます。 帰国後30年余りが過ぎて高齢者になり、生活は困難です。二世の会結成以来、新支援法案を実現するために、多くの会員が苦しみ亡くなった人の追悼活動、地域の大掃除等の活動に参加しながら、国民の理解と認知を得ようと努力をしています。

私も署名しました

日中友好協会大阪府連合会 布川雅章さん

 2021年8月署名活動開始。 二世の実態を、Hさん制作のスライド、浅野先生の資料、二世たちとの交流などで「了解」し「理解」し「呼びかけ」た。 今年は日中国交回復50年。戦前、戦後の国策の犠牲者、その二世の生活改善は日本国として当然のことで、早く救済してほしい。 猪苗代湖畔の友人は署名約300筆を11月京都嵐山日中不戦の碑の前で、支援委員代表に提出。これに励ましを受け、わたくしの署名も加速した。

市民の応援に支えられて

帰国者2世の活動は多くの市民の支援に支えられています。
クラウドファンディングに寄せられたメッセージの一部を紹介します。
全ての人が普通に生きていける社会の実現を。
皆様のご苦労を思うと胸が痛みます。
国が責任を持つのはあたりまえのことだと思います。
中国残留孤児二世の方々が、日本で人間としての尊厳を大切にされ、安全に安心して生きていける社会を。
母が「満州」生まれなので残留孤児の問題は他人事ではありません。
こんな不条理を放置してきたことが現在の日本を生み出してきたのだと思います。
日本の社会がもっと優しくなれますように。
多くの棄民を生み続ける政治が今も続いています。
戦争が生んだ悲劇はもう二度とあってはなりません。
困難を生きる人がいる現実を知り、見て見ぬふりはできません。
言葉に尽くせぬ苦労をしてきた残留孤児の皆さんとそのご家族が、故郷に受け入れられ、優しい人たちに出会うことが出来ることを心から願ってやみません。この歴史を風化させることなく、次世代にも伝えていくことが大切だと強く感じています。

「中国『残留孤児・婦人』2世の生活支援等を求める請願署名」と募金にご協力ください

署名用紙ダウンロード (PDF)
募金について(クレジットカード・銀行振込)

◯クレジットカードで募金する(オンライン決済)

以下のリンクボタンを通じてご送金ください。送金と同時に、メールにて、氏名、住所、金額、および「帰国者募金」を明記したメールを必ず送ってください。

日本中国友好協会 本部事務局募金

日本中国友好協会 本部事務局募金

募金する

◯ゆうちょ銀行・郵便局で「払込取扱票」を使用して募金する

郵便振替口座
口座番号:00110-1-21176
名義(加入者名):日本中国友好協会
※通信欄に「帰国者募金」と記入し、住所、氏名をお書きください。

「ゆうちょダイレクト」での送金も可能です。
必要事項を入力のうえ、「メッセージ欄」に「帰国者募金」と書き込んでください。
機種によってはメッセージ欄がありませんので、この場合はメールにてご一報ください。

◯その他の金融機関から募金する

銀行名 ゆうちょ銀行
金融機関コード 9900
(店名) 〇一九(ゼロイチキユウ)
(店番) 019
(預金種目) 当座預金
(口座番号)0021176

送金と同時に、メールにて、氏名、住所、金額、および「帰国者募金」を明記したメールを必ず送ってください。受け取る側には、カタカナのみの情報しか届かないためです。
※いずれの場合も、送金手数料のご負担をお願いします。

〈お問い合わせ先〉

日本中国友好協会本部

〒111-0053 台東区浅草橋5-2-3 鈴和ビル5階

☎ 03-5839-2140 / FAX 03-5839-2141

E-mail :

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【解説】
二世問題の解決なくして、残留日本人問題の解決なし

摂南大学学長付・特任教授 浅野慎一

 中国残留日本人の二世は、年齢も30歳代から70歳代と幅広く、帰国後の就労状況、生活状況、日常言語などが様々であり、多様性に富んでいます。そして、この多様性のために、二世全体に共通する「二世問題」は見えにくくなり、何か問題があっても個人差とみなされてしまいがちです。

 でも、二世の多様性は単なる個人差ではありません。日本政府の政策によって作り出された多様性です。

 日本政府は、残留日本人(一世)の帰国を厳しく制限しました。そこで一世は帰国が遅れ、日本に帰国した後も苦難の生活を余儀なくされました。そして政府は二世の帰国を、一世よりもさらに一層厳しく制限しました。一世が帰国する時点で20歳以上だった二世には、同伴帰国を許さなかったのです。そのため、二世の帰国の時期・年齢は多様化し、特に年長の二世は一世よりさらに大幅に帰国が遅れてしまいました。

 1980年代までに20歳未満で、一世と同伴帰国できた若い二世は、二世全体の2割程度にすぎません。こうした若い二世には、一部ではありますが、日本の学校で学び、中国と日本の両方の文化を生かして活躍している人もいます。しかし若い二世もやはり、同世代の日本生まれの日本人と比べれば、大きなハンディを背負っています。特に義務教育の学齢を越えて16歳以上で帰国した若い二世には、日本で高校に進学できず、不安定な就職・生活を余儀なくされてきた人が少なくありません。

 二世の約8割は、1990年代以降になってから20歳以上で帰国しました。その約半数は、40歳をすぎるまで帰国できず、現在はもう60〜70歳代になっています。こうした中高年の二世は、日本で公的な日本語教育を受けられず、言葉もほとんどできないまま、帰国した直後から苛酷な労働条件の下、非正規雇用で働くしかありませんでした。職場での労災事故の発生率は驚くほど高く、重労働のために身体を壊した人も少なくありません。また帰国が大幅に遅れたため、退職後の年金はとても少額で、年金ではまったく生活できません。公的な医療通訳もなく、安心して医療も受けられません。中国語で介護が受けられる施設も少ないので、言葉も通じない中、孤立した「老老介護」も蔓延しています。中高年の二世は、かつての残留孤児(一世)とほとんど同じ、または公的支援がまったくなかったので一世よりさらに深刻な苦難の生活を強いられています。

 中国残留日本人の二世は、一世と同様、日本政府による帰国制限政策、および自立支援の欠如が生み出した被害者です。二世問題の解決なくして、中国残留日本人問題の真の解決はありません。残留日本人の歴史的被害を、次の世代にまで積み残してはなりません。二世問題の解決を、心より期待します。

全国の帰国者2世のアンケート集計結果

日中友好協会は2021年(令和3年)8月〜12月にかけてアンケート調査を行い、19都道府県から321名の回答を得ました。クロス集計を行った結果、帰国者2世への支援の必要性と相当性が読み取れるのではないか、また、1世やその配偶者と比較した場合、2世への支援を目的とする施策(法律の制定・改正)を行わない合理的理由を見出すことが逆に困難ではないか、との結論を得るに至りました。

全国の帰国者2世のアンケート集計結果グラフ

中国残留帰国者問題の残された課題

「新支援法」の主な内容(概要)
  • 国民年金の満額支給:40歳代後半に帰国した中国「残留孤児・婦人」は、国民年金保険料の全額納入が不可能です。国が国民年金保険料相当額を一時金として支給し、それを帰国者に代わって保険料の追納をすることにより、満額の国民年金が受給できるようにしました。
  • 支援金給付:国民年金だけでは生活できないため、生活保護からの脱却を考慮し、15万円程度で暮らせるよう配慮した制度です。その他、医療支援を受ける場合の「本人確認証」の発行などの配慮や、中国の親族訪問などで渡航した時も2か月は支援給付が停止されないことも含まれています。
  • 地域社会における生活支援:市町村が主体となり、中国残留邦人等の方々が地域で生き生きと暮らし、地域社会に気軽に参加できるような仕組みを作ることを目的とするものです。これには、日本語習得のための支援や就労支援が含まれています。
帰国者1世の配偶者への支援

特定中国残留邦人等が亡くなった後、配偶者に対する支援は、支援給付のみとなっていました。残された配偶者の大半は高齢で日本語が不自由であり、さらに、日本の生活習慣に不慣れのため、支援給付だけでは日本で生活することは困難な事情を抱えています。帰国者1世らと長年にわたり労苦を共にしてきた配偶者の置かれている事情に鑑み、2014年の法改正により、支援給付に加えて老齢基礎年金の2/3相当額(配偶者支援金)が支給されることとなりました。

帰国者2世への支援の必要性

以上のように、帰国者1世とその配偶者に対しては、2008年と2014年にそれぞれの支援拡充に向けた法改正がされていますが、帰国者2世への支援は制度化されていません。親(帰国者1世)の帰国遅延が子(帰国者2世)の帰国遅延に直結し、日本政府が国費による同伴帰国を制限しているため、更に帰国が遅れました。そのため、帰国後の日本語習得や就労の困難性は帰国者1世と同様です(帰国者1世との同質性)。

また、中国において、親(帰国者1世)と共に日本人と差別されながら支え合い、親の世話のために日本に来るなど、長年にわたり労苦を共にしてきた事情は帰国者1世の配偶者と同様です(帰国者1世の配偶者との同質性)。

生活支援・社会支援の必要性は変わりなく、帰国者2世の支援を法制度化しない合理的理由はありません。

中国「残留孤児・婦人」関連年表

戦前
1894年

日清戦争

1904年2月

日露戦争。1905年の講和条約(ポーツマス条約)により、ロシアから中国東北部の旅順、大連等の租借権、南満州鉄道経営権を獲得。

1931年9月18日

満州事変(関東軍が柳条湖事件を起こし、中国軍の犯行と発表)

1932年

3月1日:「満州国」建国宣言。
10月:満州(試験)移民開始。以後1945年まで約27万人の開拓民送出し。

1936年8月

広田弘毅内閣が「七大国策」を決定し、20年間で開拓民100万戸、500万人の送出を計画。

1937年

7月7日:盧溝橋事件。日中戦争開戦。
11月:近衛内閣が「満蒙開拓青少年義勇軍」送出を閣議決定。1938年から1945年までの8カ年の間に、約8万6000人の青少年(16歳~19歳)を送出し。

1939年12月

満州開拓政策基本要綱決定。移民を重要国策と位置づけ。

1941年12月8日

太平洋戦争開戦

1945年

4月5日:ソ連が日ソ中立条約の不延長を日本に通告。
5月30日:「満鮮方面対ソ作戦計画要綱」を策定。満州の4分の3に及ぶ地域の防衛と邦人保護を放棄。
7月10日:満州の18歳以上45歳以下の男性を一斉召集(「根こそぎ動員」)。
8月9日:ソ連軍が満州に侵攻。 8月10日:関東軍は「朝鮮は防衛、満州は放棄」との命令を出し、ソ連と戦わないまま、秘密裏に南方へ撤退。残された開拓団民(老人、女性、子供が主)の「死の逃避行」始まる。開拓民の犠牲者数は7万8450人に達し、開拓関係者の3割が死亡。
8月15日:日本無条件降伏。

戦後
1949年10月1日

中華人民共和国成立。日本は承認せず、日中国交断絶。中国残留邦人の帰国は事実上不可能に。

1951年9月8日

サンフランシスコ平和条約調印。

1952年12月1日

中国が残留邦人の帰国を支援する意思を表明し、民間レベルでの引き揚げが開始された(中国紅十字会と、日本赤十字社、日中友好協会、日本平和連絡会との間で北京協定締結)。

1958年

5月2日:長崎切手展で中国国旗侮辱事件が発生し、民間レベルの引き揚げ中断。
12月:未帰還者の特別一斉調査。中国地域の未帰還者は約2万2000人。

1959年3月3日

「未帰還者に関する特別措置法」公布。「戦時死亡宣告」で約1万4000名の残留邦人の戸籍が抹消され、調査が打ち切られた。

1966年

「文化大革命」始まる(〜1976年)。

1972年9月29日

日中共同宣言に基づき、日中国交回復。

1973年

民間レベルでの肉親探し開始。しかし日本政府は出入国管理及び難民認定法上の外国人として扱い、「身元保証人」を要求。身元未判明の残留邦人は、在日親族がいないため永住帰国が事実上不可能。

1981年3月2日

日本政府による訪日調査開始。しかし、全ての残留邦人が比較的容易な手続きで日本に帰国することができるようになったのは1995年以降。

1984年2月1日

中国帰国孤児定着促進センター(埼玉県所沢市、後に中国帰国者定着促進センターに改称)開所。

1998年

「自立研修センター」開所。

2002年

帰国者1世が国の謝罪と賠償を求めて全国15地裁に提訴。

2007年

「新・支援法」制定。(翌2008年施行)

2014年

帰国者1世が死去した後の配偶者への「新・支援法」の適用を決定。

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