私と中国〈891〉

定年後、念願の中国留学

奥野有造さん
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 中国に行って中国の歴史や文学を勉強したいというのが中学生のころからの夢だった。 しかし、学校を出て就職した会社で憲法違反、人権侵害の労務管理が行なわれ40年間会社と闘うことに。また、「文化大革命」(1966~76年)もあって結局、若いうちには中国に行けなかった。  しかし、奥野さんはあきらめなかった。2000年、定年退職と同時に、遅まきながら夢をかなえるために訪中、西安外国語大学で2年間中国語を勉強、それから西安中信国際旅行社に就職した。  旅行社では日本語ガイドの教育係になった。教育係と言っても日本語を教えるのでなく、日本の政治行政機構から風習、習慣、行儀作法まで日本語の背景、日本語を正しく使うための知識を教えた。  「日本語を教えてくれる人は多いけれど、こういうことを教えてくれる人は少ない」と、随分ありがたがられたそうだ。  西安には6年間住み、うち2年は学生寮、2年は長安南路近くの団地。奥野さんは「この団地には日中友好協会福井支部の高橋政一さんも住んでいて随分お世話になった」と思い出を語る。  後の2年は南門近くの古アパート。旅行社の同僚、ガイドさん、同じアパートに住むおじさん、おばさん方にたくさんの飲み友達ができ、しょっちゅう一緒に飲んだ。  今でも1年に1回は1週間ほど西安を訪れる。行くと毎日のようにそれらの人に誘われて飲み歩く。飲むのは白酒。「だから私は白酒に詳しく、うるさい」と豪語する。  1940年生まれ、74歳。神戸市在住。(川口)


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