私と中国〈888〉

「語学研修」転じて「語学教師」に 陝西省政府から朱雀記念像

牧野 光延さん
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  1941年東京で生まれ、保険会社に勤務、労働組合運動の経験ももつ。1960年代にエドガー・スノーやアグネス・スメドレーの著作を読んで中国社会へのロマンを感じたが「文革」でその印象はしぼんでいた。
 それを変えたのは1985年、劉延東中華全国青年連合会副主席(現・副首相)の来日時に「日本の家庭を訪問したい」との要望で自宅訪問を受けたことである。奥さんが茶道をたしなみ「日本らしい普通の家庭」として「白羽の矢」が立ったという。
 1999年に初めて北京に赴き、「21世紀は中国の世紀」といわれた経済急成長を目の当たりにするなかで急速に興味が広がり、退職後「中国語研修」で西安交通大学中国語科に入学した。
 2年間学んだが、満足にマスターできず帰国を決意した頃、「西安工業大学で日本語教師を求めている」との話が舞い込んだ。熟慮の末「1年間」と引き受けたが、3年勤めることになった。まさに「人生反転」である。
 この間、教えた生徒は約120人。その功績が認められ、西安工業大学名誉校友に選ばれ、陝西省人民政府から最高の栄誉とされる「三泰友誼奨」(陜西省友好賞)が贈呈(写真)された。
 いまは日中関係が悪化している。しかし牧野さんは現在も続いている教え子たちとの交流体験にもとづいて「国民間の友好は変わらない」と確信をもって話す。
 そして「753年阿倍仲麻呂が遣唐使として立った地に私が立つことになろうとは。歴史を振り返れば友好の歴史が圧倒的に長いのですよ」と、感慨を込めて語る姿が深く印象に残った。(宣)


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