私と日本〈62〉
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民族舞踏指導員
景 志仁さん
文芸活動で帰国者の団結を |
6年に及ぶ「中国残留孤児訴訟」の闘いのなかには、いつもアコーディオンを弾き、歌唱指導する景さんの姿があった。志仁さんは中国人。奥さんの梅原秀子さんが原告。
景さんは、16歳で中国人民解放軍文工隊に入隊、軍楽団に所属し民族舞踊の指導員・演出家として活躍した。
故郷の吉林省長春で結婚、1989年に家族とともに来日した。帰国者関係の文芸活動の番組の演出や合唱、表演を指導、多くの歌を作ってきた。
そのなかには作詞・作曲した「勝利是属我們的」(勝利は私たちのもの)、作詞では、養父養母に感謝する「母親・父親」(母父よ)。「説句心理語」(この思いを語る)、「帰国的孤児来相会」(帰国した「孤児」が会いにくる)などがある。
こうした歌を「孤児」たちに歌唱指導し、長く厳しい帰国者の闘いを支え続けた。いまも帰国者で「合唱団」をつくり、社交ダンスも指導している。
2歳で孤児になり、いまもまともに日本語が話せない秀子さん。景さんも病気をもち、ニトロが手離せない。しかし、「音楽や舞踊に参加していると、病気のことは忘れている。かえって元気をもらっている」と笑顔で話す。
原告団が解散し、交流の場が少なくなったなかで文芸活動を通じて、帰国者の団結に努力している景さんの存在は大きい。(お)