私と日本〈58〉
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東京大学大学院生
邱 潔さん
夢は日中両国の大学間交流 |
1983年中国黒龍江省生まれ、天津市で育ちました。日本との最初の出会いは、幼少時代に見たテレビドラマ「東京ラブストーリー」や「ドラえもん」。「当時は過去の戦争が原因で日本人はやさしくないと思っていました。日本はまだまだ遠い存在でした」と振り返ります。
中学生のころ、日中合弁会社に勤務する父親の「日本は先進的な国、この理念や技術を学ぶべきだ」という言葉に影響され、次第に興味をもつように。やがて日本語を通して真の日本を理解しようと2002年9月天津外国語大学日本語学科に入学。
03年、日中友好協会荒川支部の渡辺定子さんが同大学の日本語講師として着任。「渡辺先生は生徒との距離感がとても近く、やさしく教育熱心な方。私の恩師です」。
06年6月に同大学を卒業、同年10月東亜学院日本語学校を経て、07年4月に東京大学教育学研究科大学経営・政策コースの研究生に。その半年後、大学院生の選抜試験にみごと合格しました。
「日本に来たばかりのころは興奮しっぱなしでしたが、すぐに孤独感で押しつぶされそうになり苦しかった。日本は私にとって人生のチャンス。自分の夢を叶えたい」と、辛いホームシックを乗り越えました。
大学院では大学の管理運営、また高学教育の内容と政策について日中両国の比較研究をしています。
「中国の大学は諸外国から比べるとまだまだ遅れています。将来は中国の大学の研究員になり、高等教育に力を注ぎたい。日中両国の大学間交流が夢」と目を輝かせます。(押)