激変する中国の音楽環境~今と昔
中国の音楽事情
河合 潔
2013年からの中国駐在において特に感じたのは日本と同様、音楽を聴くに当たって従来のCDやDVDよりもネットからの配信やダウンロードが主流となり、決済はスマホで行なうようになってきたことである。
以前は野放図であったライセンス管理も以前より厳しくなり、海賊版も減っており、日本など海外からの音楽プロジェクトも参入するチャンスが増えている。
ミニカラオケボックス
街にミニカラオケボックスが出現
最近、中国の若者に流行(はや)っているのは電話ボックス型カラオケである。上海ではショッピングセンターや映画館に公衆電話かと思われるミニカラオケボックスが増えてきた。
15分間20元~30元(約340円~510円)で手軽に楽しめるのが人気の理由と言われている。
先般、親子連れで小さな女の子がマイクを握っているのを目撃した。録音した自分の声をインターネットにアップロードし友達とカラオケアプリを共有することにより他人と合唱する等、最近の中国の流行を感じる!!
上海老人ジャズ
上海外灘にある「老人ジャズ」のステージ
33年前、最初に音楽に接したのは外灘(バンド)にある1929年竣工の和平飯店北楼の「老人ジャズ」である。
ちょうど上海に初赴任した昭和59年(1984年)は1930年代のジャズプレイヤーを題材とした風間杜夫、松坂慶子主演の映画「上海バンスキング」が上映された年で、当時のジャズナンバーを現地で懐かしく聞いた。
それから月日も経ち、ホテルの改装があった2007年~10年には演奏が中断した時もあったが、今も和平飯店の名物となっている。
楽団の前に座り目を閉じ耳を澄ませていると、幾度と訪れたかつての駐在時代の懐かしい思い出が走馬灯(そうまとう)のようによみがえり、ここは自分にとって大切なスポットとなっている。
最近の音楽コンサート
20数年前、上海で聞いた地元のオーケストラは、素人が聞いても音が外れているのではないかと思ったものだが、今は世界的なレベルとなり、日本とのジョイントコンサートも実施、コンサートホールも奇麗で設備も昔と隔世の感がある。
上海の各公園と同様、上海のいろいろな施設の改善は急速に進んでいる。また北京、上海では日本からもいろいろな音楽アーチストやオーケストラが訪中し、ネットでチケットも簡単に購入できる。日本と比べても音楽を聴ける環境は充実していると感じる。
中国もおけいこブーム
妻が二胡や中国民謡の勉強に通っていた北京の音楽教室では、ピアノやリトミック(音楽による情操・音感教育)に数十人の子どもたちも通っていた。中国も音楽ブームで、一説によると1000万人の子どもたちがピアノ教室に通っているという話もある。
子どもに対する両親の期待も大きく、先生のレッスンを受けている最中にも、親が横にやってきて叱咤激励(しったげきれい)し、先生がほめると何級レベルかと詰め寄られる。
中国では、ほとんどの習い事に級が設けられていて、子どもの歌にも試験がある。
日本では、子どもたちの情操向上のため、リトミックが流行しているが、リトミックには級がないため、中国では今一つ流行しないとのことである。
流行の移り変わり
CRI紅白歌比べで「天路」を歌う筆者の夫人
私が初赴任した30数年前、流行っていた歌は鄧麗君(テレサ・テン)で、昼は鄧小平氏の講話、夜は鄧麗君の歌を聴くといった時代であった。
1986年~87年には「愛人(爱人)」「つぐない(偿还)」「時の流れに身を任せ(我只在乎你)」がたて続けにヒットし、鄧麗君の歌は日本・中国問わずカラオケの定番となった。今回、中国赴任後の2014年前後には踊りも交えた「小苹果(シャオ ピン グオ)(小さなりんご)」が大流行した。
歌手として根強い人気を誇るのは台湾の歌手、周杰倫(ジョウ・ジエルン、英語名=ジェイ・チョウ)である。
日本武道館でもコンサートを行ない、人気歌手であるビビアン・スーや王力宏(ワン リー ホン)への曲の提供も行なっている。
また、女性では歌唱力のある韓紅(ハン ホン)の人気も高い。チベット族出身で、「天路」や「青蔵高原」のヒット曲がある。
妻も2013年12月の中国国際放送(CRI)の紅白歌比べ(日本人は中国の歌、中国人は日本の歌を歌い、男女で競う歌合戦)で「天路」を歌ったことがあるが、同じく歌手でもある習近平夫人の彭麗媛(ポン リー ユアン)女史の歌も参考に練習したとのことである。
(東葛飾支部会員)