9条改憲許すな!
「明治150年」と日中関係
笠原十九司
1937年12月9日、日本軍が南京城へ向け侵攻開始、写真は日本軍が中華門を攻撃している情景を撮影したもの(『正義審判』王志強編から転載)
自民党・安倍政権がナショナリズム喚起のキャンペーンを張っている「明治150年」は、日中関係史から見ると、大日本帝国憲法下に中国侵略戦争を繰り返した戦前と、日本国憲法下に中国との平和を貫いてきた戦後とに大きく二分される。
安倍首相は、戦後の「平和な日本」を屈辱的な「戦後レジーム」と否定し、戦前のような「強い日本を取り戻す」ためにと、憲法改正に執念を燃やしている。
大日本帝国憲法下に中国侵略戦争を繰り返した日本
明治維新(1868年)によって天皇制国家を創出した日本は、富国強兵を第一の目標にすえ、陸海軍はドイツやイギリス、フランスなどの武器や兵制を導入して近代的な軍隊の創設に邁進した。
隣国の清国や朝鮮に比較して、いち早く富国強兵政策に成功し、天皇制軍国主義国家となった日本は、1874年の台湾出兵に始まり、日清・日露戦争から1945年のアジア太平洋戦争の敗戦に至るまで、中国への侵略戦争を続けた。
中国では、日本が70年間にわたり中国侵略を続けたという意味で侵華70年戦争とも呼んでいる。1931年9月18日の満州事変に始まり、1945年8月15日の敗戦まで戦線拡大の一途をたどった15年戦争では、中国側の公式見解によれば、中国軍民の死傷者3500万人に達する莫大な犠牲を中国に与えた。
日本国憲法下に「日中不再戦」を守ってきた日本
戦後の日本政府は、中華人民共和国(1949年に成立)を認めず、台湾の国民党政府と「日華平和条約」(日台条約)を結び、アメリカに従属して「中国封じ込め政策」「中国敵視政策」をとった。
1950年6月に勃発した朝鮮戦争を契機にアメリカの対日政策は日本の再軍備へと転換し、51年に日米安保条約を結んで保安隊を発足させ、自衛隊へと拡大させたが、アメリカが強く望んだ自衛隊のベトナム戦争への派兵を阻止したのは、日本国憲法の第9条があったからである。
1972年に日中国交正常化をはかり、現在に至るまで日本は中国と軍事衝突、軍事紛争をすることなく「日中不再戦」を守ってきたのは、憲法第9条が外国との戦闘を厳しく禁止しているからである。
安倍政権下に「日中再戦」の危機におかれた日本
安倍政権は、尖閣諸島をめぐる中国との対立を最大限に利用して中国脅威論を流布、領土ナショナリズムを扇動して防衛費を増強、アメリカからオスプレイや最新鋭戦闘機などを購入して軍備強化をはかり、尖閣諸島をめぐる中国軍との戦闘を想定した日米合同軍事演習を強化してきている。
安倍政権はさらに、国家安全保障会議設置法、特定秘密保護法、安保関連法案などを公布、武器輸出禁止三原則の撤廃、集団的自衛権行使の閣議決定、そして反戦運動を取り締まり、弾圧できる共謀罪法の公布まで、一連の戦争法を成立させた。
あとは、憲法改正によって日本国憲法の「第二章 戦争の放棄」を削除して「第二章 安全保障」に変え、自衛隊を「国防軍」にして、「自衛」の名目で外国軍と公然と戦闘(戦争)できるようにすることである。
もしも、安倍政権の憲法改正を許せば、尖閣問題は、日本と中国が戦後初めて軍事衝突をする火種となる危険がある。
(都留文科大学名誉教授)