私と日本〈121〉
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日中友好協会さいたま支部
中国語講師
李 麗(りれい) さん
いっしょに料理を作り 交流を記録したい
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1962年、瀋陽生まれ。日本語との関わりは、1972年以降の小学生のころ、ラジオで日本語講座を聞いたり、隣に中国人と結婚していた残留孤児がいて、交流をもったりした。
本が好きで近代革命史のシリーズ、『紅旗飄飄(ひょうひょう)』やソ連の本などを、時に父母が帰宅するまで、家の外の階段で読みふけっていた。
1993年11月、仕事の関係ですでに日本に来ていた夫の下に、4歳の長男を連れて来日し、東京に住む。日本は先進技術が発達していて、交通が便利で、環境がきれいなことに驚かされた。
日本語は区の交流団体、語学学校に通って習得。その後、企業や、警視庁、さらには専門学校などで中国語を教えた。
2008年、日中友好協会さいたま支部中国語教室へ。中国語を教えるうえで、授業内容、教科書選択などについて、生徒の要求の中で選ぶようにしているとのこと。
料理が得意な先生、支部で料理教室の講師もたびたび。とても好評。料理を作ることは楽しい。それを通して日本人とより多く交流し、知らないこと、知りたいことを教えてあげたいと。
好きなことは、小さい時は絵をかくことと書道。今は旅行、そして行った先での撮影。日本のあちこちに行きたいと。
「日本に来て、よかった。日本、好きですよ。これからもいろいろなことを通して交流し、日中友好のために頑張りたい。一つ一つやっていくことが、力になると思います」。
最後に力強く語りました。
(安川 操)