私と日本〈110〉
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中国語講師
さん
みんな人間“和”を大事に
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「明るく人なつっこく、友達が多くてパワフルな人」――関西の大学や日中友好協会で中国語を教える 岩さんへの周囲の目は温かく、「日中友好は、日本の?和″の精神から」と語る姿が、さらに評価を高めています。
1965年、中国遼寧省に生まれ、瀋陽大学外国語学部日本語学科を卒業した後、「語学だけでなく、中国では学べない社会学を勉強したい」と1989年、宮城教育大学大学院に留学。
教育社会学を専攻し、「日本における専門職女性の就労意識と生活実態について」で教育学修士の学位を得たのですが、師を求めて北海道大学大学院にも学んだことが、人生を大きく変えました。
北大の若き教員と結婚、「博士号も」の思いは胸に秘めて、神戸大助教授に迎えられた夫に付いて、札幌から関西に移住。
こうした経歴と人柄の良さが、一気に花開いたのは、夫が中国「残留日本人孤児」の調査研究を始めたころ。「これは人間として、自分の出番」と、通訳を買って出て、東北三省(旧「満州」)で、法律専門家の実父らの人脈も生かして、数百人の残留孤児、その養母などから聞き取り調査。
日本でも、帰国した孤児の苦難の歩みをまとめ、神戸地裁へ国賠訴訟の重要資料として提出。これが、全国唯一の勝利判決を引き出す大きな力となりました。
今年12月1日は、勝訴10周年の記念日。今度は、その記念行事での活躍が期待されています。