私と日本〈99〉
今年もいい映画を紹介したいと耿忠さん
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NPO法人日中映画祭
実行委員会理事長
耿 忠(こう ちゅう)さん
映画は日中文化交流の要(かなめ)
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2006年から毎年、上海などで日本映画祭、東京などで中国映画祭が開かれてきた。耿忠さんはその実行委員会理事長で映画大使のようだ。作品選定から出演者依頼、政府関係機関への許認可・協力要請、スポンサー交渉などと多忙をきわめる1年だ。
「06年に上海で日本映画祭を企画した時、ちょうど小泉さんが靖国参拝で日中関係が冷え込んでいたものですから、なんで今どきと、どこも冷たかったんです。でも山田洋次監督などの応援があって北京と上海で日本映画祭が実現し成功したのです。それで中国側から日本でも中国映画祭をやればといわれて―」。中国の新作映画を見ることができるようになったのだ。
昨年、上海の日本映画祭では「そして父になる」、「清洲会議」、「武士の献立」、「ドラえもん」など11本の日本映画新作が上映されて大歓迎された。東京の中国映画祭では「藍い骨」「ソング・オブ・フェニックス」など10本が上映され、崔健ら12人の代表団が来日、好評だった。
「継続は力になります。今年、2015年は日中映画祭10年目になりますから、記念の年として何か新しいこともやれたらいいなと思って今、それを企画しています」
平和ということでいえば「謝晋監督のように戦争も文革も厳しいことを映画っていうものに描かれて平和を訴えました。私たちも先輩を見習って続けていきたいです」。
「一に文化交流、二に産業発展」をモットーにする耿忠さんにとって国境を越えて観客の心に届く映画は日中文化交流の要なのだ。
耿忠さんは、1998年に「ラブレター」(監督は森崎東)で中井貴一と共演して映画女優としてデビューし、美しくも哀しい中国女性の愛情の強さを印象づけた。
「映画の現場では中井さんや倍賞美津子さんに親切にしていただきました。私に合う企画があれば映画に出たいです。けれど、今は映画祭が忙しくて―」
紫金草合唱団の南京公演の橋渡しをしたのも南京出身の耿忠さんだ。「紫金草物語はいつかは日中合作映画にするといいと思いますね」と、映画作りにも眼を輝かせた。
日中友好協会の人びとにとって、この1年が「幸せな年になりますように」と、やさしく微笑んだ。(石)