私と日本〈102〉
|
日中健康文化交流促進協会会長
邵 麗君さん
|
瀋陽駅近くで生まれた。生家は、かつて日本人が住んでいた家だった。周囲はすべて旧日本家屋で、多くの残留婦人もいた。なぜか日本に強い親しみをもちながら育ち、小さい頃から日本語を少し学び、大学では日本語を専攻した。
日本に留学するまでは、遼寧省人民政府に勤務し、国際投資業務部で、日本と中国の合弁会社の設立促進の仕事をしていた。
1988年4月に日本に留学、一橋・上智大学で学び、そして早稲田の大学院法学研究科修士課程を修了した。
その後は、日中貿易や法律関係の通訳などに携わりながら、東京江戸川区内の施設で「楽しい中国語会話」・卓球・バドミントン・気功・太極拳・薬膳・精進料理などを開催している。
毎週、日本人と中国人が50~60人集まって楽しく交流している。中国語を除いてすべて無料である。
「なぜ、それほどまでに」と聞くと、「私は27年かけて世界各国を廻りました。私が痛感したことは民間交流の大切さです。日中間でも民間交流の促進こそ友好に貢献できると考えたのです」と力説する。
その傍ら日本の病院に来る中国人や中国人の裁判の通訳をしたり、残留孤児に日本語を教えている。
華奢な体のどこからそのエネルギーが出てくるのか、熱意に圧倒されたインタビューだった。
(宣)