私と日本〈95〉
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日本華僑華人文学芸術界連合会会長
福音館書店編集長
唐亜明さん
日中文化の融和作品作りたい |
1983年、福音館書店の当時の社長に中国でスカウトされ来日。「当初、子どもの絵本に興味があまりなかった」という。「社長から『違う文化・視点をもった編集者の方が、他社と違う作品ができる。その方がかえっていい』と言われたんです」と、癖のない日本語で語る。以来31年間「子どもの絵本」を追求してきた。
日本との縁は東京美術学校(現・東京芸術大学)に留学経験をもつ父から。日本語の本が身近にあり「いつか読みたい」と思っていた。
「文化大革命」(1966~76年)が起こり、16歳の時、黒龍江省密山へ下放された。その後、人民解放軍のアコーディオン奏者、軍報道部員となり、北京で知り合いの年配の日本人女性から日本語を学んだ。
80年、中国国家観光局が新しく創立した新聞社へ記者として入社。中国では日本の歌謡曲がはやり出し、日中両国の音楽家の交流が盛んになると、訪中団が頻繁に来るようになった。メンバーには指揮者の小澤征爾や歌手の芹洋子らがいた。
中国音楽家協会で翻訳の仕事に携わり、「白いブランコ」や「だれもいない海」など日本の歌を数多く手掛け、中国人歌手の李谷一、朱明瑛、成方圓らが歌って大ヒット。
福音館の社長との出会いもその頃。「日本人女性と結婚し、日本で就職し、日本の子どもたちに本を作るなんて予想もしていなかった」。
「中国には教育の本はあっても絵本の文化がなかった。今度は日本の編集方法で中国の子どもたちのために本を作りたい」
著書に『なみだでくずれた万里の長城』『さくらの気持ちパンダの苦悩』など多数。
1953年、北京生まれ。東京在住。妻、二男一女の5人家族。(押)