私と日本〈81〉
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二胡奏者
劉 福君さん
二胡を通じて国境越える人と心のハーモニー |
日本は“美しい”
劉福君さんが初めて日本を訪れたのは1992年、29歳の時、吉林民族楽団の首席奏者として日中友好公演で四国や九州を巡回。ステージと客席が一体となり、音楽を通じて人と心のハーモニーができることに感動しました。日本のみなさんは感受性に優れている、もっと自分の音楽を聞いてほしい、街や田舎の美しさにあこがれて翌年、熊本大学教育学部音楽科に留学し、そのまま永住することになりました。
二胡は5歳から学ぶ
1963年、吉林省生まれ。5歳の時に始まった「文化大革命」で地主だったため迫害を受けた父が、子どもへの影響を恐れて外に出さず、室内で二胡を習わせました。高校を出て4年間いろいろな仕事を体験しましたが、二胡の演奏を止めることはありませんでした。
吉林芸術学院で4年間二胡を専攻。卒業した89年に中国四大民族楽団の一つである吉林民族楽団のメンバーとなりました。その3年後に日本公演が実現したのです。
中国洪水支援公演がきっかけ
松山事務局長(当時・左)と意気投合
95年に起きた阪神淡路大震災の“チャリティーコンサート”を熊本で開催し、70万円を日赤に寄付しました。98年、中国全土を襲った大水害の時、初めて日中友好協会福岡県連の松山盛利事務局長(当時)を訪ね、互いに意気投合。
劉さんを中心としたメンバーによる“チャリティーコンサート”は大成功を収め、吉林省白城市の学校に机や椅子などを送りました。この出会いをきっかけに、日中友好協会の活動に関わるようになりました。
「苦労しても充実感があった。被災地の人に喜ばれる。こんな幸せはない」と語り合う2人です(写真)。それ以来、劉さんの公演は、福岡市内を中心に十数回に及びます。
二胡教室は九州各地に
福島県いわき市
被災地支援チャリティーコンサート
熊本大学を卒業後はプロの演奏家として活躍。そのかたわら、「二胡教室」を熊本、福岡を中心に九州各地に開いて二胡演奏の指導にも情熱を傾けています。
生徒さんたちを連れて上海の民族楽団展演会で2回の中国公演が実現。今は、生徒さんたちのボランティア活動で二胡の演奏を活発に行なっています。「将来は、中国と肩を並べる二胡奏者を育てたい」。
四川大地震(08年)、東日本大震災(11年)支援コンサートでは、協力していただいたみなさんの気持ちを被災地に届け、昨年は福島県いわき市の3カ所を訪問し、被災者を元気づけることができました。
文化交流は日中友好の礎
劉さんは、2000年から作曲を始めました。日本のみなさんに楽しんでもらおうと思ったからです。「体の自然な反応に任せ、自分の気持ちが曲になって演奏できる喜びを感じています。これからも自分の気持ちを伝える曲を作りたい」。
「音楽は底知れぬ力をもっています。感情を揺り動かします。被災地でのコンサートでも強く感じました。政府間では、複雑な日中関係ですが、音楽を通じて深い交流が友好を発展させます。音楽は国境や民族を越えて広がっていく可能性を秘めています。友好交流の絆が強くなることを願っています」と、力を込めて語りました。
(星野)