私と中国(978)
福岡支部会員、
中国帰国者2世の会会長
小島 北天(ほくてん)さん
中国帰国者2世へ支援を
「私たち中国帰国者2世への生活支援運動を、全力で支えてくれている日中友好協会に感謝しています」と謙虚に語る小島北天さん(70歳)。小島さんは「新支援法を改正して2世にも生活支援を」と運動に取り組んでいます。
小島さんは1947年11月、旧満州の奉天(現在の遼寧省瀋陽市)で5人兄弟の長男として出生。
日本人の母は家族とともに13歳で満州へ、看護学校を卒業し旧満鉄病院の看護師でした。
戦後も現地に残り46(昭和21)年、国民党軍医の父と結婚します。日本の敗戦間もないころ、国内戦が続いていました。
福建省浦城県に移り住んだ小島さん一家、父は現地の病院の医師、母は看護師として働きました。小島さんは農業協同組合の事務員として働き結婚、3人の子どもを設けました。
96年、50歳の時、日本へ帰国。「家族を支えるために6回転職。草刈りや皿洗い、専門学校で鉄工技術を学び通信機器組み立ての仕事もしました。日本語がうまく話せず苦労しました。今は洗濯前のシーツやベッドカバーなどの分別作業をしています」。
正社員で働けたのは4年間だけ、給付される年金額は毎月1万9000円です。多くの帰国2世が同じような苦しい生活を強いられています。
「帰国者2世の会」会長を引き受けた小島さんは、日中友好協会福岡県連役員や弁護士と厚生労働省交渉や福岡県交渉に参加、窮状を訴え支援を求めています。
福岡支部の役員も務める小島さんは、「私たちは、戦前戦後の国策の犠牲者、2世にも支援を求める運動を福岡から全国に広げたい。日中友好と不再戦は心からの願い、日中友好協会も大きくなってほしい」と仲間に入会を訴えています。(有馬)