私と中国(975)
協会中野支部
(東京都連)会員
勝又(かつまた) 嘉子(よしこ)さん
戦前・戦後を
真っすぐに生きて
協会中野支部(東京都連)の会員である勝又嘉子さんは、1967年から中野区議会議員を7期連続で務め、98歳のいまでも協会をはじめ民主商工会、国民救援会、地域の診療所友の会などで元気溌剌(はつ らつ)と活動を続けている。御殿場市(静岡)生まれで、教員の経験をもっている。
1940年、ご主人の赴任地である内蒙古に渡った。1937年の盧溝橋事件によって、日本が中国全土に侵略戦争を拡大し、蒙古も日本軍に占領されていた。
赴任地は、内蒙古、シリンゴール(錫林浩特市・シリンゴール)地方のトレモト(地図には現存しない)で、付近を流れる遼河には橋がなく支流が凍るのを待って渡行するしかないところだった。砂嵐が4日も吹き続くすさまじい環境での暮らしであった。
やがて敗戦となり1945年に帰国、途中で長女を亡くした。この中国での体験が協会入会の動機となった。
1952年から、現在の東中野(中野区)に居住し、新日本婦人の会中野支部事務局長などを経て区議会議員(日本共産党)となった。この嘉子さんの体験は『戦前、戦後を真っすぐに生きて』と題する自伝に紹介されている。
戦争を体験したことのない安倍首相の言動を見るにつけ、「中国侵略戦争の事実を知らせることの大事さ」を痛感するという。100歳も近いが、その気迫と意気込みに圧倒された。 (大)