私と中国〈970〉
|
田川支部(福岡県連)理事
身吉 三枝子さん
人生に友好の歴史あり |
「何をするにしても日中友好協会のおかげ、穏やかで包容力のある人たちとの出会いに感謝しています」。ひと言ひと言、丁寧に語る身吉三枝子さん。結婚、子育て、仕事をしながら、太極拳、中国語、二胡を学び、日中友好・平和運動に長年励んできました。現在68歳。
1949年3月、福岡県田川市の生まれ。父親は炭鉱労働者、母親は農業をしながら農閑期には選炭婦として働いていました。
高校生のころ、新聞社の通信局で新聞切り抜きのアルバイト。そこで中国の「文化大革命」(1996~76年)を知りました。
さらに、市役所の臨時職員だった20歳のころ、新聞で「盧溝橋事件」学習会の案内記事を見て参加、そこでの松山盛利さん(現・協会福岡県連会長)との出会いが日中友好運動に参加するきっかけとなりました。
「中国の事や積極的に社会参加する中国の女性に関心がありました。松山さんと出会い、すぐに入会し、その後の学習会にも出席しました」
30歳の時、福岡県職員となり、女性相談員として働きました。二胡の音色に魅了された身吉さんは、二胡奏者・劉福君(りゅうふくくん)さんや中国吉林省の楽団を招いた田川でのコンサートにも積極的に参加。5年前の二胡コンサートでは、開催責任者として尽力しました。
身吉さんは、13年6月に支部の後押しで自ら二胡教室を開講。15年11月には、筑豊の炭鉱に強制連行され亡くなった中国人労働者の慰霊碑(田川支部が建立)の前で鎮魂の演奏をしました。
「文化や音楽に壁はないと思います。友好・平和の民間交流はとても大事。素晴らしい人たちとの出会いは宝」と実感を込めて語りました。
(有馬)