私と中国〈960〉
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山口・宇部支部支部長
原田 八郎さん
実習生を親身に世話 |
不動産勤務を経て2000年からJR阿知須(あじす)駅前で不動産会社「みらい地産公司」を経営。中国出身の技能実習生7人を会社の2階に住まわせて無償で世話をしています。
「休みには山口県内の有名な所を案内したり、仲間内で花見や海に貝を採りに行ったりと、日本へ来たのだから良い印象をもって帰ってくれたらという気持ちで接しています」と語ります。
原田さんは1943年、「満州国」興安省で生まれました。戦後は吉林省で約1年抑留生活を送りながらも、46年7月、葫蘆(ころ)島から父、母、次姉、原田さんの4人で日本の舞鶴港へ上陸、山口県へ帰郷しました。長姉はそれから約2年後に帰国しました。
その後、原田さんの長姉が残留孤児の生活指導をしていたことから、宇部市の要請で1993年4月に宇部市日本語教室を開講、98年に原田さんが引き継ぎ、ボランティアで教え続けましたが、生徒減少にともない2年前に閉講しました。
「日本が戦時中にした行為は、他人の家に土足で上がり込んで好き放題をした行為と同じです。そういうことがあっても中国の人たちは中国に残された残留孤児を育ててくれた気持ちの大きさに感謝しています」
今年5月21日に宇部支部が再結成され、原田さんが新支部長に就任しました。
「『日中友好』をさらに良くするため、多々模索しています。日本国民を啓発すべく『日中友好協会』とともに力強く歩んでいきましょう。新中国成立前の魯迅先生の心境です」と、力強く抱負を語りました。
山口県宇部市在住、74歳。
(押)