私と中国〈958〉
|
福岡県大牟田支部会員
堀 榮吉さん
中国人殉難者碑の建立に尽力 |
三井三池炭鉱に強制連行された中国人殉難者の慰霊碑建立とその維持に尽力してきた福岡県大牟田市の堀榮吉さん(84歳)。1932年(昭和7年)、鹿児島県の与論島で生まれ、5歳の時、家族で大牟田市に移住。父親は三井三池炭鉱の労働者でした。
1958年、27歳の時、父親と入れ替え採用で三池炭鉱の保線の現場で働くことに。しかし、「石炭から石油へ」のエネルギー転換政策の下、翌59年、会社から1200人の仲間と共に指名解雇通告を受け、反対闘争に決起。これが、有名な「三池闘争」です。
堀さんは、ピケや文化工作隊活動に明け暮れ、解雇反対の裁判闘争にも取り組みました。そのなかで63年、看護師の寺崎ケイ子さんと結婚。
三池炭鉱では戦時中、中国人2481人が強制労働させられ、4分の1の635人が犠牲になりました。堀さんは仲間と共に強制労働の実態調査や損害賠償、慰霊碑建立の運動を進めました。
そのなかで、日中友好協会大牟田支部の再建に力を尽くし、4人の会員を22人に増やし、09年6月、20数年ぶりに支部を再建。その後、8年間で5倍、100人以上の大きな組織となりました。宮浦坑に慰霊碑を建立したのに続いて、万田坑にも慰霊碑を建立するため地元の荒尾・玉名支部を結成しようと尽力しました。
「毎朝早起きしてラジオ体操の第一と第二、太極拳で体をほぐします。300坪の畑で野菜作り、日中友好新聞の配布など、すべて妻と一緒です。今春の中国百科検定試験で高一の孫娘が1級に合格、中国旅行招待の賞品をもらいました」
堀さんは目を細めながら、嬉しそうに語りました。
(有馬)