私と中国〈957〉
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画家(協会山形県連常任理事)
布施 魔子さん
留学生と熱い交流 |
布施魔子さんは、仙台市出身。幼くして大空襲に遭い、早くに両親を亡くし、一人上京、厳しい独学で東京芸大などにもぐり込むなどして絵を学びました。
画家の布施哲太郎さんと出会い結婚し、山形市の蔵王山麓、山田地区に居住し、夫婦で絵を描き支えてきました。
哲太郎さんは、2014年に100歳で亡くなりましたが、戦前、熊谷守一に師事し、戦後は東洋大学で哲学を学び、帰郷後、山形市で故郷の心象風景を描く画家として画壇・文化界で幅広い人びとに慕われた方でした。創立時から60年代の協会会員でした。
魔子さんは、山形市内で「女流絵画展」などで、大活躍しています。そして、協会中国語教室に通い留学生や青年との交流を重ねてきました。
留学生・顧祥軍とは、絵の師匠として援助し、後に絵と歌を得意とする娘洋々さんが来形すると親代わりとなって面倒をみました。
2015年には、顧さんの招待で念願の「シルクロード」を旅しました。
日中友好新聞で知り合った荘魯迅さんと親交を重ね、山形市や山辺町でコンサートを成功させ、「草の根」日中文化交流を広げました。
「3・11大震災」では、東北・福島の人びとの苦難に心を寄せ、毎日、原発の絵を描き続けました。原発絵画展は、山形県立図書館と福島白河市で開催。
2年前の大腿骨骨折が治りきらぬまま、障害の苦労を背に杖をついて車で飛び回っています。
(髙橋)