私と中国〈951〉
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福岡県連副会長
玄界灘支部事務局長
岩佐 英樹さん
中国強制連行の史実を発掘 |
「三菱勝田炭鉱大谷坑(福岡県宇美町)に終戦1年前、中国から352人が強制連行され、終戦も知らされずに危険な坑内労働を強いられ、4分の1の87人が死亡しています」。玄界灘に視線をやりながら静かに語る岩佐英樹さん(福岡県連副会長・玄界灘支部事務局長)。
穏やかな表情の中にも歴史の真実を見極める強固な意思と犠牲者へのやさしい心情があふれています。
岩佐さん(75歳)は1941年(昭和16年)、徳島県生まれ、戦後間もない5歳の時、小学校教師だった父親が他界し、13歳のころ福岡市に移住。
当時、東シナ海で操業中、中国に拿捕され1年後に帰国した漁師の伯父さんから、親切だった中国側の対応や建国の喜びにあふれた中国の様子などを聞いたことが、岩佐さんのその後を方向づけました。
北九州大学の中国科で学び、高校の教師(社会科)に。1988年には県下で初めてこの高校から中国への修学旅行を実現しました。
1995年、三菱勝田大谷坑への中国人強制連行の実態を示す資料を入手。98年、犠牲者47人の遺族にアンケートを送り、返事を寄せた1人と連絡がとれました。
こうした実績を基に、昨年11月には中国人労働者の苦難を記録した『いのちの終着駅 三菱勝田大谷坑』を出版。
「大谷坑では中国人労働者が日本の敗戦を知り一斉蜂起したことも分かりました。これらの歴史を正しく伝え、友好運動に貢献したい」と、熱く語ります。
(有馬)