私と中国〈949〉
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日中友好協会和歌山県連顧問
日高支部顧問
田端 好弥(たばた よしや)さん
正しい日中友好の道は世界平和の道
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入会は1964年、大阪での中国展から。和歌山県御坊(ごぼう)市からは10数台の大型バスで多くの人びとを運んだ。
以来、知人に会えば日中友好新聞の購読を勧め、1市4町にわたり105部に達した。
当時は週刊新聞だったので配り終わった日に次週の新聞が届いていた。配達は出勤の前後。問題は集金で同じ家を夜何度も訪ねた。
「寒中に夜遅く訪ねた時『この寒いのにご苦労さん。まぁ一杯』と熱燗をいただいたこともあった。当時、美浜町議の故・粉川豊一氏が全町議を日中友好新聞の読者にしてくれたことは忘れられない」。日中友好協会美浜支部事務局長を長く務めた思い出を語る。
今、組織が高齢化するなかで、隣接の御坊支部と組織統合し、日高支部となっているが、中国語教室で若い人を養成しておくべきだったと反省の言葉。
そして、何よりも組織を揺るがした大問題、1966年の「文化大革命」について。
自国の誤った革命路線を押し付けるべきでないとする協会と、中国のいうことを丸のみにする分派との論争で、分派は脱走し、分裂組織を作った。中国人留学生や分裂者が協会本部を襲った。貿易交渉の前には本部破壊が条件となった。これをわれわれは「土下座貿易」と呼んだ。
現在、中国は国際的に影響を与える国に成長した。「正しい日中友好の道は世界平和への道である」と語る。
(橋本)