私と中国〈944〉
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戦争体験の語り部
大野 貞雄さん
若い世代に日中友好の大切さ伝えたい
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大野さん(82歳)は、2004年、「戦争体験語り部の会」に入会。01年のアフガニスタン、03年のイラク戦争などの悪夢が入会の動機だ。
幼い子どもや親兄弟が殺される姿や、血みどろで泣いている人びとをテレビで見た時、「バカヤロウ」と怒鳴り体が震えた。家族から「お父さん何を怒っているの」と言われ正気に戻った。数日間は憂鬱で何も手がつかなかった。
大野さんは「私の中国での体験がそうさせたのだろう」と語る。
昨年3月、日中友好協会滋賀県支部の満蒙開拓平和記念館(長野県阿智村)見学ツアーに参加した大野さんは「懐かしい風景の大きなパネルを見た時、幼い頃の中国での開拓団生活が絵の中から飛び出して来た。楽土から突然、地獄になる姿が目の前を走った」という。
71年前の母の死、父の重傷、長男のシベリア抑留、学校長家族6人の自決、逃避行中の虐待など悲惨な体験を一挙に思い起こしたのだった。大野さんは「この記念館見学は、語り部として本当に参考になった」と振り返る。
日本の敗戦と同時に土地を奪い返され、虐殺が蔓延し反乱に苦しめられたが、開拓団の大半は地元中国人たちと助け合いながらの生活だった。
大野さんは「父母の重傷の身を命をかけて守ってくれた中国の方々は命の恩人。父の最期の言葉は『中国の人は、人情深い人であった。恨まないでくれ』だった」。
大野さんは、その言葉を胸に「今後も若い世代に日中友好の大切さ、戦争の悲惨さ、怖さを伝えていきたい」と語った。京都府在住。
(N・Y)