日中友好協会(日本中国友好協会)

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私と中国〈941〉

福岡県連・元会長


武田 正勝さん

 


命と平和守り50年


 武田さん(80歳)の生家は、鹿児島県串木野市で代々続く医院。長崎大学医学部を卒業後、九大病院に外科医として勤務。55歳の時、福岡で武田病院を開院します。
 日中国交が回復した1972年当時、中国の針麻酔術が紹介されると、早速、研究のため知人と上海へ、華東病院や療養施設で学びました。
 通訳で日本語教授の金正林氏から「日本語の教科書が不足している」と聞き、飯塚の教職員組合から大量の教科書を寄贈してもらい、大阪の中国領事館を通じて送付しました。
 中国残留孤児の帰国が始まった1980年当時、西日本新聞で「身元引受人」を募る記事を見た武田さんは、すぐ名乗り出ます。九州ではただ1人。上京し、帰国者の金さん一家と面会。福岡での住居の確保や職業を世話しました。
 開院後、保険医協会の会長を務め、平和運動にもかかわります。長崎大出身の先輩が731部隊の細菌戦に医師として関わったことを知らされ、日中戦争とはどんなものだったかと自問自答。
 65歳の時、日中友好協会で岩佐英樹氏(現県連副会長)が講義する「中国近現代史」の学習会に参加。以後、保険医協会や日中友好協会が中心となった「平和のための戦争展」の開催に尽力しました。
 03年、67歳の時、要請され会長に。以後、協会の諸運動の先頭に立ちました。「中国には奥深い文化がある。それらを受け入れ今日の日本があるのも事実。友好と平和を願う活動は生涯の仕事」と語る武田さんです。
(有馬)


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