私と中国〈936〉
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広島県連事務局次長
脇中 みどりさん
若い世代の活躍に期待
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「1950年代から、新中国との国交回復運動を展開し、日中友好のために井戸を掘ったのは皆さん方であり…」。広島支部が07年6月「広島市政功労賞」を受賞、その祝賀会に出席した、当時の在中国大阪総領事・羅田廣さん(故人)の言葉です。
11年4月、広島県連の三戸眞治事務局長が病に倒れ、急遽その「井戸」を守ることになったのが現在の事務局次長・脇中みどりさんです。
脇中さんは、長年看護師として働き、09年退職、ようやくのんびり旅行ができると、その年の秋、中国への「平和の旅」に一人で参加。現役中から続けていたアコーディオンのサークル活動の傍ら、中国語学習を再開、太極拳も練習を始めました。
事務局長不在となった事務所をパートとして支えるようになり、その仕事が思った以上に雑務の多いこと、新聞発送や集金、中国語教室の運営、他団体との交流、事務所の暖房用灯油の搬入やゴミ捨てまで、一時は精神的にも肉体的にも疲労がたまり、入院して静養を迫られるまでに。
アコーディオンサークルで出会った加藤徹さん(広島大学助教授などを経て、現在、明治大学教授)と共に訪れた中国への旅などが彼女を支えたのでしょうか、今は多くの人たちの協力を得て活動中です。
彼女の願い、早くこの仕事を若い人に託し、多くの人たちと共に自分本来のアコーディオン活動を精力的に続けたい、そして中国への旅も。
(三戸栄子)