私と中国〈934〉
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愛知県連会員
前畑 信男さん
日中両国民の平和と幸せを
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前畑さん(88歳)は岐阜県生まれで農家の三男。小学校の先生に言われるままに満蒙開拓青少年義勇軍に応募し、茨城県内原の訓練所で半年間鍛えられた後、送り出された先は吉林省敦化県の訓練所。高粱やトウモロコシ畑での農作業と軍事訓練に明け暮れました。
前畑さんの部隊は1945年の敗戦を受け入れず、再起を期して吉林省の奥地の山岳地帯に逃げ込みましたが、食糧の補給も続かず、悲惨きわまる逃避行でした。そこで出会ったのが、国民党軍と内戦を繰り広げていた八路軍。
前畑さんは「食わんがために」たまたま八路軍に参加。その八路軍は「軍律は厳しかったけれども、部隊長と兵士の間に衣食の差別がなく人間的でした」と当時を回想します。
東北全域の解放戦に参加、その後、天津市、開封(河南省)、長沙(湖南省)へと南下し、最後はベトナムとの国境付近まで進軍。その間すべて徒歩での戦いで、49年の中国全土解放と新中国成立に貢献しました。
58年、天津港から舞鶴に帰国。中国帰りの「赤」と言われ、就職できずに困り果てました。親戚の世話で何とか職をえましたが長続きせず、愛知県民商の事務局に転職。そのさい建設業界と関係ができ、後に免許をとって不動産業を営みました。
現在は名古屋市在住。協会愛知県連の会員として元気に活躍。各地の学習会などで自らの戦争体験を語り、「日中不再戦」を訴えています。「中国のどんな小さな出来事でも、私にとっては『わが古里の出来事』です。過去の歴史をしっかり見つめ、日中両国人民の平和と幸せに役立ちたい」としみじみ語りました。
(鳥居)