私と中国〈932〉
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日中友好協会大阪府連 顧問
藤後 博巳さん
平和の尊さを
1人でも多くの人に
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日中友好協会の強化拡大めざす「仲間づくり」運動で、大阪の先頭に立って奮闘している藤後さんは、1929年生まれの 86歳です。
15歳で満蒙開拓青少年義勇軍として旧「満州」に渡り、敗戦後ソ連軍の捕虜に。釈放後、過酷な生活の中で命の恩人となる中国人に出会います。「留用」という形で中国残留を余儀なくされ「東北民主聯軍」兵士として、新中国建設の担い手として中国各地を転戦。
1955年2月に帰国。帰国後、危険分子と見なされ、さまざまな差別や偏見で就職もままならず苦しい生活を余儀なくされます。
民主団体の専従の後、大阪港の貨物検査会社で中国関係の仕事に従事しました。並行して、うたごえ・労働運動にも参加。中国で日中友好の思いを強くし、協会には、帰国後すぐに入会、今年で60年になります。
関西紫金草合唱団や所属する合唱団など「うたごえ運動」でつながった仲間に入会を勧め、「なんでもっと早く言わなかったのか」と言われたそうですが、これまでに会員1人、準会員16人を増やしました。
「いまこそ、私が目にした凄惨な戦争の傷痕、平和の尊さを多くの人に伝え、書き残さなければならない思いを強くしてもっと強大な協会の建設を」と「仲間づくり」も2000万署名にも、「お願い」文書を添えて引き続き100人に協力を訴えています。
(松尾)