日中友好協会(日本中国友好協会)

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私と中国〈931〉

苫小牧支部事務局長


河野 紘さん

 


生地チチハルを思う


 河野さんは、日本の敗戦の年、1945年5月に中国黒龍江省チチハル(斉斉哈爾)市で生まれました。
 教師として赴任していた父親は、現地召集され、終戦後シベリア抑留により亡くなりました。母親と子ども3人で、過酷な状況をくぐり抜け、葫蘆(ころ)島から佐世保港経由で父親の郷里、室蘭市の祖父母の家にたどりつくことができました。
生後間もなかった河野さんは、中国での生活、引き揚げの記憶は全くなく、父親も写真でしか知りません。母親から「青酸カリを手渡されたり、ロシア人の非道さ」などの話を聞いたことはあるそうです。やせ細って帰国し、必死で生活していた母の姿を見て3人の子は大きくなりました。
日中友好協会へは、知人の相澤さんから、「中国生まれならぜひ入会を」と誘われてのこと。沙飛の写真展、漫画展などの取り組みを通じて歴史の真実や友好の大切さを感じたということです。
生まれ故郷のチチハル市は、終戦直後に関東軍が遺棄、地下に埋めていった毒ガス弾が都市の再開発で掘り起こされ、その作業をしていた中国人労働者が被害を受け、いまだ後遺症で苦しんでいる人びとが住んでいる街だと知りました。
 今年8月末の協会主催ツアーでその地を訪問し、生まれ生活していた地を確かめつつ、被害を受けた中国の人びとに直接会って、その体験を真摯に聞くこと、その事実を日本人、とくに戦争を知らない若い世代に伝えていくことが大変必要だと思っています。
(蔦保[つたほ])


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