私と中国〈922〉
|
所沢・中富郷土民俗資料保存会会長
鈴木 康久さん
方正日本人公墓に献花
|
1957年から94年まで「国際電信電話」(現・KDDI)で勤務した。仕事は、中国を含む海外諸国との通信(電信・電話・FAX・報道)など。労働組合運動を通じて安保闘争にも参加。
20数年間、現場の仕事の中で、さまざまな経験を積んだ。
1983年9月、ニューヨークからソウルに向かっていた大韓航空機がソ連上空で撃墜され、269人が死亡した事件では、情報が錯綜。「当時、私は特殊通信の仕事をしていて、大変緊迫した状況をよく記憶しています」と回顧する。
中国との出合いは、日中青年交流で、代表団員として参加した先輩から中国の状況について、現地の北京から手紙をもらい感激したこと。
また娘さんが、仕事の関係から中国の方と2009年に結婚したため、度々、中国を訪問。
09年8月には7日間、大連、ハルビン、方正を、満蒙開拓団の足跡と中国建国の歴史を学ぶため訪ねた。方正の日本人公墓では献花し、亡くなった多くの方々の冥福を祈った。
「日本と中国との関係は、人とのつながりや経済の関係でも、切っても切り離せない関係があると思います」
「日中間の難題は、あくまでも、話し合いを通じてお互いが理解をしていくことが、重要ではないか」と力を込めて語る。
鈴木さんは現在、所沢(埼玉)に支部を結成するため、準備を進めており、「2016年度にはなんとか実現したい」と意気込んでいる。
(大田)