私と中国〈917〉
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団体職員
加藤 リカさん
中国帰国者3世 政治革新に挑む
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1922年(大正11年)生まれの祖母は結婚後、中国東北地方(旧満州)に渡り、敗戦後ソ連の侵攻を受け避難を続けるなか2人の子どもを失った。
その後、中国人(中華民国政府の役人)と再婚し、リカさんの故郷湖北省武漢に帰省した。日系の父は中国人の母と結婚した。
リカさんは高校まで中国武漢の学校に通い、1993年、先に帰国していた祖母の下へ両親と共に帰って来た。幼少期から日本のことを祖母から聞いていたので「日本アレルギー」はなかった。
大学で学校教育を専攻し教員資格を取得、小学校の非常勤講師や高校教師を勤め、出産後は幼稚園の教諭などを歴任した。
社会問題に目が向きはじめたキッカケは、横浜市の「待機児童問題」。2年も待たされてやっと入園できた。
子育て世代と話すなかで市の子育て政策や児童医療費無料制度の貧弱さに強い関心をもつようになり、2015年の横浜市議会議員選挙の候補者(日本共産党)として選挙を戦った。わずかの差で議席に届かなかったが、大きな勉強をした。
時あたかも「戦争法案と改憲問題」の最中。戦争で子どもを亡くした祖母の体験は、この問題の危険性や本質を理解するうえで大きな力になった。
「自分の子どもが戦場にとられたら」、また先の日中戦争で「日中両国の人が共に大きく傷ついた。それだけではなく、戦争は悲しみや憎しみしか生まない」との思いが強く迫ってきて「候補者としての構えが変わった」と言う。
「二度と同じ過ちを繰り返さないためにも戦争法案を廃案にするまで頑張ります。『偏見と差別をなくす』というのが私の原点」ときっぱり。
7月の協会神奈川県連大会で常任理事に選ばれた。
数少ない「戦争体験を身近に知る」若い世代のリカさんに大きな期待が寄せられている。
(宣)