私と中国〈909〉
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中国帰国者3世
志村 正博さん
帰国者の後継を自覚して
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中国帰国者3世として、仕事に社会活動に精力的に駆け回っている。
中国内モンゴルの大興安嶺山脈の麓にある「満帰」という小さな山村で13歳までを過ごした。朝晩マイナス40度まで冷え込む環境の中でも、めったに風邪を引いたことがない。日本語は全くしゃべることができなかったが、徹底して得意科目の英語・数学・歴史を集中的に勉強した。
「1995年、中学1年生で来日しましたが、英語は日本の同級生と同じスタートラインにつくことができました」と微笑む。その年は阪神淡路大震災、地下鉄オウムサリン事件など大変な年であった。
祖母の両親は1943年に家族総出で「満州」へ渡航した。祖母は18歳だった。終戦後の混乱で4人の兄弟を失った。そして40年間、会計の仕事で家族を支えた。
その祖母は日本人であることに誇りをもち、ずっと日本姓を名乗り、「文革」で被害を受けたこともある。祖母にとって最もつらかったのは両親と兄弟を失った戦争のことであろう。志村さんは、この「戦争の悲劇」を忘れてはならないと心にきざんでいる。
いまは仕事の傍ら「中国帰国者の活動」に精出している。新年会や交流会の司会や通訳に引っ張りだこである。「その中で痛感することは帰国者の高齢化です。体調が悪く、もう中国に墓参もできないなどと聞くと寂しい気持ちになります」と顔を曇らせる。
しかし「祖母や親たちの体験をきちんと引き継ぐという小さなマイノリティーを守っていきたい。それが3世の使命だと思っています」と、力強く締めてくれた。 (宣)
〔訂正〕
3月5日号「私と中国」の榎本英雄さんの記事で、3段目後ろから6行目の「上海復丹大学に研究留学」の大学名を間違えて報道しました。正しくは「上海復旦大学」です。お詫びして訂正します。
(編集部)