私と中国〈908〉
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日本中国語学会顧問
榎本 英雄さん
友好は“ことば”から
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「イヤー懐かしい」。協会本部のある東京千代田区の東方学会ビルに入るやいなや、この言葉が出てきた。17歳の頃このビルにあった「倉石中国語講習会」に通っていたことがある。
中国語との出合いは、東京都立北園高校で第二外国語の中国語を選んだことからだ。「僕にとっては『運命の出合い』だった。中国語の美しい発音、その魅力にすっかり引き込まれたことだった」と話す。
そして「発音符号の一つ一つとその発音の対応関係を覚えるのが、まるでクイズを解くように楽しく」、「その頃は電車に乗ったら、中づり広告の漢字を端から中国語で読んでみる。読めない漢字があったら、発音辞典ですぐ調べた」と回想する。
このしたたかな中国語好きと情熱が「中国語教育の第一人者」を育てたのだ。
東京外国語大学中国語科を経て、明治学院大学で長く教鞭をとった。初の中国訪問は1975年、中国語教育活動家訪中団の時。その後1979年から1年半、上海復旦大学に研究留学。当時はまだ「文化大革命」(66〜76年)の余韻が漂っていた。日本中国語学会では理事長も務めた。
1981年からはNHKテレビ・ラジオの「中国語講座」を20年間担当。榎本さんを知る人の多くは、この講座を介してである。昨年12月にはNHK出版から『7つのパターンでよくわかる中国語初級文法』を上梓。
長期にわたる日中関係の悪化で中国語学習者が減少しているが、榎本さんは「各分野の交流をいつまでも止めることはできない。友好の始まりはことばから≠ナす。どんな時でもたゆまず学んでください。大きく花咲く時が必ず来ます」と、その道の専門家らしく楽観的に展望を示してくれた。(宣)