私と中国〈875〉
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東京都議として活躍する
小竹ひろ子さん
日中関係改善の先陣切る決意で |
6月の東京都議会選挙で2人区(文京区)の激戦を制して3度目の東京都議(日本共産党)に返り咲いた。現職の日中友好協会文京支部長である。選挙戦でもこの肩書きが広く紹介された。
東京都は中国の首都北京市と友好姉妹都市の関係にあり、日中友好のシンボル的存在である。
しかし、長く知事を務めた石原慎太郎氏は中国を敵視し続け、いま問題の「尖閣紛争」に火をつけた人物である。その石原都政の下で友好関係発展に尽力してきた。
1997年に友好都市代表団員として日本共産党の木村幹事長と松村都議が北京を訪問。この訪中が今日の日中友好運動分野の関係正常化の道を切り開いた。
日中関係へのかかわりは深く長い。1964年、倉石中国語講習会(後の日中学院)で中国語を習い、同会で日中友好協会の班を結成、また日中学院研究員として日中辞典編集などにかかわってきた。1965年には、日中青年大交流の代表に選ばれたが、政府は旅券を交付せず、外務省と激しく闘い勝利し中国訪問を果たした。
当時学院は、日中友好協会本部と隣接しており、1967年の「協会本部襲撃事件」に巻き込まれた。本部支援運動の先頭に立って闘った。
都議に返り咲いて感慨は深い。「石原前都知事の中国敵視・差別意識・尖閣への挑発的行為などが日中間の正常な関係を損なわせた大きな原因になっています。東京がこの険悪な日中関係改善の先陣を切らなければ」との決意を胸に新たな活動に踏み出している。
(宣)