私と中国〈874〉
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北海道連合会会長
斉藤 康治さん
北海道で友好運動に専心 |
斉藤さんは、1943年(昭和18年)現役兵として渡満し、58年(昭和33年)7月中国からの最後の引揚船白山丸で帰国するまで、足かけ16年間、中国での生活を余儀なくされました。
終戦の翌年46年(昭和21年)、北満にいた日本人1200人が汽車で、黒龍江省の鶴岡炭鉱に送り込まれました。
当時中国では、国民党軍と共産党軍の内戦が始まり、共産党軍側から「帰国できるようになるまで中国解放のために力を貸してほしい」との要請を受けたのです。
斉藤さんは「戦前日本が管理していた時は、隣の東山坑に万人坑といって、坑内事故死や逃亡して虐殺された人を入れていた坑があった。しかし、昔の支配者に対する悪感情など少しも感じられなかった」と、当時を回想。また、「食料も平等に分配され、空腹を感じたことはなかった」とも語っています。
こうした中国の政策が軍国青年だった斉藤さんの考えを変え、「日中不再戦・平和・社会の主人公」という自覚をもった労働者に育てていきました。
それから50年後の2008年(平成20年)、中国国際友誼促進協会の主催、中日交流振興会の共催、中国人民解放軍OBの後援で解放軍に参加した日本人とその家族40人が招きを受けました。そして梁光烈国防相から、解放証書と八一解放記念章(勲章)を授与されました。
斉藤さんは、4月21日に小樽で開かれた北海道連合会の第47回総会で、山崎幸さんに代わって新会長に選出されました。91歳の高齢にもかかわらず、元気いっぱい。友好活動の第一線に立っています。(小川・影浦)