私と中国〈863〉
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日本語学校校長
木下 先義さん
日中の架け橋になる若者よ育て |
「キノシタ学園日本語学校」は東京都江東区内にある。6階建ての立派なビルだ。ここに今は約80人の中国などの留学生が学ぶ。校長が木下先義(さきよし)さん。
学生に向けるまなざしは優しく温かい。気軽に一人ひとりに声をかけ、学生も明るい声で応える。学生が来日すると、自ら成田空港まで出迎えるともいう。
自身も1986年、祖母の国日本へ福建省福清市からやって来た。来日当初2ヶ月間、日本語が全く分からず、それは苦しい経験だった。
当時は日本語を学ぶ場も極端に少なく、相談できる人もいない。その後運良く夜間中学(墨田区立曳舟中学=当時)に入学、そこで優しい先生たちに出会って学ぶことができた。
この時の苦しい経験のなかで、「もし将来お金があったら、絶対日本語学校をつくろう」と決心。そして見事にその夢を実現して、間もなく創立10周年を迎える。
日本語学校の経営は、漁船衝突事件から尖閣問題、それに加えて地震と津波・原発事故で、中国からの学生が減るなど、決して楽ではない。しかし、学生たちに「よい大学に入り、日本で企業人となるにせよ、帰国するにせよ、日中友好の架け橋となってほしい」と望み、託す夢は大きい。「学生たちの大学合格の朗報を聞くことで苦労が報われる気がする」
「日中両国民は夫婦のようなもの。喧嘩はしても決して離婚になるようなことはしないでほしい。そのために民間の交流をもっと盛んに」と語る。中国からの技能研修生のお世話など自ら交流に粉骨砕身の日々を送る。
今回、自分の意思で協会東京都連墨田支部に加入された。1966年生まれの46歳。(北中・澤井)