私と中国〈862〉
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「中国歌の会」世話人
藤巻 正弘さん
“合唱”通じて友好交流に努力 |
「日中国交回復・交流40周年」の昨年、中国北京市の「北京友誼之声」合唱団と合同で景山公園少年宮で合唱公演・交流が予定されていたが、「尖閣騒ぎ」で中止になった。「何とも残念」と、のっけから話してくれた。
1988年に静岡大学の研究生だった竺小梅さんらの協力で「中国歌の会」を旗揚げし、丸子梅園梅まつり、春節会、仲秋節の会等に参加、また「日中国交回復30周年記念」コンサートを開催した。1997年には南京・杭州を訪問、歌を通じて友好交流を広げてきた。
中国への関心の発端は、中学時代の“ピンポン外交”(1971〜72年)が契機だった。静岡大学で「日中学生班」をつくり、映画“農奴”を上映したこともある。
JA静岡中央会を退職後、語学研修で、北京中央戯劇学院にシニア留学し、北京胡同での生活や若者・市民との交流も体験した。静岡県と友好姉妹の浙江省交通庁の青年研修生(静岡市)との交流・焼津加工センターの青年たちとの交流も行なっている。
尖閣問題にも触れ「漢字の伝来など日本のDNAの40%は中国。共同で管理し発展の道を探れないか。アジアはひとつだという高い視点に立ってね」と、真摯で静かな人柄がうかがえた。
焼津9条「青空」の会、原発ゼロをめざす「くろしおネットはまおか」の事務局も勤める多忙を極める毎日だ。(宣)