私と中国〈851〉
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アート設計事務所勤務
菊池 美代子さん
縁あって、親子2代で日中友好 |
1953年頃から、埼玉県川越市駅前にあった美代子さんの実家の中華料理・甲華楼は、川越市の平和民主運動の活動家のたまり場であった。
店の隣には、日中友好協会川越支部の立派な看板が掲げられていた。美代子さんの父、阪鶴蔵さん(45歳で交通事故死)は、川越支部の生みの親である。
中国帰国者の故・辻本好三郎さんらとともに、桐タンスで有名な川越に中国・青島の会社から直接安い桐材を輸入し、川越タンス組合に大きな関心を抱かせた。
1958年、内山完造協会初代理事長の講演会を機に支部を結成、日本ジャーナリスト会議が招待した中国新聞記者訪日団歓迎会を開いたこともある。
昨年、その川越支部の流れを引き継いで、埼玉西部支部が結成された。支部長で美代子さんの夫の大輔さん(全国商工団体連合会副会長)も中国と縁が深い。
大輔さんの父(故・菊池節次さん)は中国からの引き揚げ者。群馬県伊勢崎市の民主運動の草分けだ。若い頃は、作家小林多喜二の講演会が開かれ、官憲に逮捕された多喜二を奪い返したこともある剛の者の1人である。
美代子さんは幼い頃、出入りの大人たちから「日本人は多くの中国人を殺害した」という話をよく聞き、また中国人が生き埋めにされた写真も見たことがあり、いまも鮮明に覚えている。
「縁あって親子2代が日中友好運動に関わることになりました。歴史も長く、広く大きな中国に興味は尽きません」と、静かな笑顔で語ってくれた。(宣)