私と中国〈847〉
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アニメーター
村田 満夫さん
漫画展で「中国引き揚げアニメ漫画」を展示 |
3月に千葉市幕張で開かれた「漫画展・中国からの引き揚げ〜少年たちの記憶」に自らの中国引き揚げの思い出を描いた元フリー・アニメーターの作品が「華」を添えた。
テレビ漫画のアニメーターの仕事のかたわら、毎年友人・知人に出す年賀状のイラストに、旧「満州」で幼少年期を過ごした、印象に残った情景を描いてきた。
激動する時代の嵐に、ごく普通の人たちの運命が木の葉のように翻弄されてゆく。戦争がもたらす数知れない不幸を、独自の視点と表現で描こうとしている。
父は精養軒から満鉄に入ったフランス料理のコックで、大連から新京(長春)に転勤して、新京駅食堂の料理長になった。
1936年、大連で生まれた村田さんは、新京の在満国民学校(小学校)3年生だった1945年8月9日、ソ連軍が国境を越えて侵攻してきた。村田さんたちは隣組の人たちと朝鮮へ避難する。
朝鮮の平壌から支線で入った香仙で、天皇の玉音放送を聞く。また鴨緑江を越えて新京へ戻り、1年間を過ごす。ソ連兵の略奪、国共内戦の機関銃の音、無蓋車の引き揚げの旅。1946年、葫蘆島からLST(米軍の戦車揚陸艦)に乗って日本へ引き揚げてきた。
アニメーターの仕事は約15年前に退職。現在は旧「満州」の記憶を絵に、作品を描くことがライフワークとなっている。
「東アジアの近現代史を勉強しないと、感傷的になりがち。裏付けをはっきりさせながら模索中です」と語る。習志野市在住。日本長春会会員。(今井)