私と中国〈846〉
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「北京亭」のマスター
澤田 佳寛さん
身をもって知る「友好」の大切さ |
澤田佳寛さん(中国名・鮑紹曾)は1930年、北京市西城区に生まれ今年82歳。現在、東京・中野駅近くにある庶民的な中華料理店「北京亭」を日本人の奥さんと2人で経営している。
澤田さんの父親は日本に来て拓殖大学などいくつかの大学で中国語を教えていた。42年、澤田さんが12歳の時、父親を追い一家で東京に移住し、澤田さんは小学4年生に編入した。当時は日中戦争のさなかで、しかも日本語の分からない澤田さんはひどいいじめに遭ったという。
45年の終戦間近に澤田さん一家は横浜港から船で中国に帰ることになったが、澤田さんは長野県に学童疎開をしていた。その頃は、長野から横浜に行くにも、中国人は通過する各都県(長野、埼玉、東京、神奈川)の許可が必要だった。許可なしに行けばスパイの嫌疑がかけられたのだ。
手続きが遅れて横浜からの出港に間に合わず一人日本に残された。心細く途方にくれた少年を助けたのは、父親の教え子や友人だった。不遇をバネにして、16歳の頃に研数学館で数学を、津田塾で英語を学ぶなどの努力をし、23歳の時に日本人のちい子さんと結婚した。ちい子さんが言うには、澤田さんは日本人よりも日本語が上手だったとのことだ。
今から20年ほど前、かつて澤田さんをいじめた小学校の同級生が北京亭に来て「悪かった。死ぬまでにお前に会って、何としても謝りたかった」と詫びてくれたという。
今は、昔のことに何のこだわりもない。日中友好の大切さを、身をもって知る澤田さんだ。協会中野支部の会員でもある。(M)