私と中国〈834〉
|
年金者組合千葉県支部協議会 議長
白井 進さん
「豊かで確固とした社会主義国」を期待 |
1952年、千葉大学を卒業し三井銀行に入社、大阪支店で、アジアの新興国や中国・ソ連等との貿易決済に関与、数度の北京訪問を経て、銀行間の契約や信用状決済の道筋をつけた経験を懐かしそうに語りました。
右翼が長崎の中国展で五星紅旗を引きずり下ろす暴挙で数年間経済交流が中断、62年に「周三原則」で正常化した時の安堵感や、銀行団のリーダーとして中国との交渉に当たった苦労などの思い出話にも力がこもります。
定年後は年金者組合の組織拡大と平和運動に全力。千葉市6支部800人のリーダーとして、街頭宣伝や県・市との交渉にも、82歳の年齢を感じさせず、常にかくしゃくとして先頭に立っています。
終戦直前の45年7月、米空軍の大空襲で1000人近い死者と多くの負傷者が出た事件を記録し、侵略戦争を告発した『千葉市大空襲とアジア・太平洋戦争の記録、100人の証言』の刊行(09年)では、中心的な役割を果たし、その真摯な平和への思いと姿勢は、人びとに深い感銘を与えています。
中国への感慨を聞くと、「いかに強大になっても、アメリカのように、軍事力で他国の政治に介入したり、自国の経済の都合に従属させる国にはなってほしくない」。そして「中国らしい民主的手法で、豊かで確固とした社会主義国として発展を遂げてほしい」と、笑顔で述べました。
「日中友好協会には、入会させてもらいますよ」と最後を締めくくりました。(今)