私と中国〈833〉
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陶芸家
小堀 二三男さん
陶磁器の輸出がchinaの語源に |
子どもの頃から、陶芸への関心が心のどこかにあった。40歳の時、勤めていた企業が倒産した憂き目のなかで、思い浮かべたのが「陶芸」だった。
思い付いたが吉日と、さっそく本場の益子町へ。陶芸家成井恒雄氏に師事、7年の修行の後、益子町で「登窯」を開いた。
「炎の変化に魅せられて、さらに『穴窯』を造り30日焼成に挑戦した。窯出しの当日、思った以上の焼き上がりに驚いた。薪窯はいくら追いかけても、尽きることがないことを思い知らされた」と、陶芸の奥の深さを語る。
中国の陶磁器の歴史は古く、起源は漢代(紀元前206年)といわれている。宋代には、青白磁の梅瓶など、明、清の時代は「青花」と呼ばれる染付磁器などの優品を輩出し、欧州、イスラム圏など海外にも広く輸出され「china」の語源となった。
中国の陶磁器には、日本でも広く知られている景徳鎮、宋磁、万暦赤絵など多くの名品がある。日本の磁器の登場は遅く、秀吉が朝鮮出兵(1592年)で朝鮮半島から陶工を日本に連行したのが始まりといわれている。日本では戦前まで「民芸品」といわれた手作り陶器が、一般に普及されてきた。
戦後の工業化の波に乗って陶磁器も発展してきたが、中国にはなお及ばない。
「日本が陶磁器分野で世界に貢献できるとすれば、GDPの先進性を生かして、趣味の陶芸を広めることではないか」と話す。
国民間の友好促進のために「陶芸を通じた交流が活発化すれば日中友好分野の活動エリアもさらに広がるでしょうね」と期待を込めた。(宣)