私と中国〈830〉
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協会長崎支部長
柴田 朴(すなお)さん
遣唐使船の島で生まれた |
1929年、長崎県五島列島新魚の目町で生まれた。この島は中国までは約630キロ、日本で最短距離の島である。
五島は、奈良時代の7・8世紀頃、天皇に大権を委譲された大使の率いる遣唐使船の航路となった。その頃、上五島の青方港と下五島の三井県湾が遣唐使船の停泊港であった。
電電公社に勤務。労働組合役員を経て、1971年から28年間、長崎市議会議員を勤めた。
議員時代、当時の本島等長崎市長から「天皇に戦争責任あり」の答弁を引き出した話はいまも語り草である。
当時の天皇(昭和天皇)の病気療養に対して、政府が全国の自治体に「回復祈願記帳」を義務付けた。柴田さんは、歴史的事実を詳細に説明し、「天皇の戦争責任をどう考えるか、新憲法にそぐわない」と質問、これに市長が答えたもの。この答弁で、市長は右翼に襲撃され重傷を負った。
その市長とは、いまは共に活動している間柄である。
戦前、長崎に強制連行された中国人が刑務所収容中に原爆で32人爆死、その「追悼碑建立」では本島氏は中心になって活動、毎年7月7日に追悼行事を行なっている。
長崎は、江戸時代から中国と長い付き合いがある。今年は辛亥革命100年。孫文に命を賭けた梅屋庄吉は長崎の出身。長崎―中山市の友好都市提携も決まった。
「協会の役割は一層重要になっている」と力を込めて話してくれた。(宣)