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私と中国〈828〉

堀田 シズエさん写真 日中友好協会

元従軍看護婦
堀田 シズエさん

 

軍国少女が平和の語り部に

 91歳、今でも杖をついて被爆体験と、「憲法九条」の語り部として活躍しています。
 広島県山県郡本地村で9人兄弟の7番目に生れました。
 尋常高等小学校を卒業するころ、母が病気だったので看護婦になりたいと決意、卒業後病院に就職、2年で看護婦と産婆の資格を取り、広島陸軍病院に就職。
 その後、北支派遣軍済南病院に、昭和13年1月から19年7月まで勤務、帰国は父の死がきっかけ。
 中国の生活は食べ物、着る物など何不自由なく暮らしていました。夫はこの病院に入院してシズエさんを見そめ、戦後埼玉から広島まで来て、押しに負けたとか。
 帰国して翌年、原爆の光ときのこ雲を爆心地から6.5キロの町役場で体験、被爆は2日後に知人を探しての二次感染です。昭和33年原爆手帳を取得。
 原爆後の広島市内の状況を見たことが人生観を大きく変えたと思うと語っています。それは言葉に尽くせぬ無残・悲惨な状況であったと。
 結婚を機に埼玉県鴻巣市に住み、昭和25年、学校の擁護助教諭となりその後資格を取り、養護教諭として以来34年間勤務(組合活動なども)。退職後は被爆者として平和の語り部を続けています。
 8年前瀋陽、ハルビンを旅し当時の日本軍国主義の蛮行を見て言葉を失い、自分もその任を担ってきたことに、償っても償いきれないものがあり、深い反省をあらためて思った、とのことです。
 日中不再戦とさらなる友好・交流の前進を願っています。(中里)

 

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