私と中国〈822〉
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ソプラノ歌手
司馬 麗子さん
素晴らしい日本リートを伝えたい |
「中国で知られている日本の歌はごく一部です」。
新疆ウイグル自治区ウルムチ生まれ。帰化前の名前は、張王君(王君で一字)。歌が好きで上手だった母の影響で、歌手めざし西安音楽大学に進学。故郷のお母さんのウイグルの歌やロシアの歌をよく聴いたそうです。
日本へのきっかけは、世界的に有名なクラシックギタリスト鈴木巌先生との出会い。
鈴木先生が西安で公演したとき、司会を務めたのが司馬さん。それが縁で、ウイグル族の音楽12ムカムの研究者でもある鈴木先生から、日本への留学を勧められました。
93年に日本語習得のため留学。今は司法通訳もできる司馬さんですが、当時は思うように会話ができず、人好きで社交的な性格には苦痛でした。
翌94年に東京音楽大学入学。亡くなった恩師の滝沢三重子先生はじめ、多くの日本人に支えられたと感謝。ずっと曲目に入れている山田耕筰の歌曲「この道」は、厳しくも優しい滝沢先生との思い出の歌です。96年卒業し、18年間、世界を舞台に活動。
公演ではオペラ・アリアだけでなく、ウイグルはじめ中国の歌、そして日本の歌曲を歌います。世界へアジアの歌、中国へ日本の歌曲、日本へシルクロードの歌を伝える喜びがあります。「中国には流行歌だけでなく、素晴しい日本のリート(叙情歌)を伝えたい」と、笑顔。
東京在住。日本では、もっとシルクロードの歌を伝えて、日中の文化交流を深めたいと語ります。(東)