私と中国〈807〉
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華中師範大学副教授
石橋 一紀さん
残留孤児の自伝「雨桜」の 翻訳に意欲燃やす |
本紙が、中国帰国者(残留日本人孤児)長安以知子さんの自伝「雨桜」の日本語翻訳協力を呼びかけたところ、新潟県長岡市在住の石黒三沙子さんが早速応じ、中国で教鞭をとる娘婿の石橋さんに「白羽の矢」が当てられた。
「まずは原作を読んで…」と、第1章を読んだ。それだけで「協力させていただきたい作品」と即決した。
「雨桜」の導入体験部分は石橋さんの誕生年、1958年から始まり、最初の赴任地青島大学のある青島から始まっていた。そこに言い難い縁を感じ「自分の生涯と重なっている」との思いが募った。
長安さんが「侵略戦争の犠牲者でありながら、戦後中国の市民として生きてきた」。その生きざまを紹介することで「日中友好の絆のひとつにしたい」と腹がすわった。
翻訳作業には、大学の中国人の若いスタッフにも加わってもらった。中国のスタッフの翻訳は正確で早い。しかし、石橋さんは「著者の気持ちをどう正確に表現し、日本の読者にいかに正しく伝えるか」に最大の神経を使った。「うまくできたかどうか不安は残るが、精一杯の努力をしたい」と物静かに話す。
華文23万字、和文30万字にのぼる膨大な翻訳作業は、順調に進行している。しかし、日本で出版され多くの日本人に読まれる状況をつくり出すまでには、まだ一山も二山も乗り越えなければならない。
石橋さんは「日中友好協会の方々の大きなご協力を」と熱いエールを送っている。(お)