私と中国〈806〉
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相模湖・ダム建設殉職者 合同追悼実行委員
太田 顕さん
「一所懸命」にこだわり 史実伝える |
相模湖は、東京の西、八王子市高尾山に隣接する山中にある。相模湖が、人造湖であることを知る人は少ない。この相模ダムは戦中、日本に強制連行された中国人、韓国・朝鮮人によってつくられた。
太田顕さん(67歳)は、その歴史の語り手として、ダムの現地案内を務めている。1943年、千葉県に生また。24歳の時、神奈川県立津久井やまゆり園(知的障害者施設)の指導員として、旧相模湖町に移り住んだ。このとき、職場や職場のある旧相模湖町にいつづけようと決心した。
太田さんの「一所懸命」の「一所」とは旧相模湖町。04年の定年まで、職場を変わることなく、園生(利用者)たちとともに生きることをめざした。04年、自分の活動をまとめた本を、「一所懸命」という題で自費出版した。
1976年から「相模湖・ダムの歴史を記録する会」に参加。96年には調査団の団長として訪中。1944年4月に日本に連行され、ダム現場で労働を強制されていた于宗起さん(河北省在住、1919年生まれ)に保定市で会った。それまで日本人から聞いていた以上に悲惨な実態を知った。当時の日本人の選民意識、中国人や朝鮮人への差別意識の強さを感じた。
語り手として「聞き手に、事実だけでなく、こちらの『懸命さ』が伝わったときが一番嬉しい」と話す。「多くの人に、相模湖・ダムについて知って欲しい。特に地元の人に」。
太田さんはその思いを地元の小中学校に働きかけ、芽が出、根を張りつつある。「将来が楽しみ」と微笑む。
今年、第32回合同追悼会は7月25日に行われた。(東)