私と中国〈800〉
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高知県立坂本龍馬記念館 館長
森 健志郎さん
「発展」「進歩」の陰に思う |
日本国中、龍馬ブームである。恐らく関係博物館、記念館で今、もっとも忙しい館長さんの1人だろう。現実に、インタビユーの間にも立て続けの電話、飛び込みの来客で、ご本人の言葉を借りれば「1分が惜しい」。
さて「中国」「龍馬記念館」「森館長」。一見脈略がないようだが実はそうでもない。
館長は中国シルクロードに詳しい。2002年から2年間は新疆ウイグル自治区にある「新疆大学」に語学留学もしているほどである。館長職を受けることになったきっかけの一つにもシルクロードがかんでいる。何でも龍馬記念館の総ガラス張りの2階から眺めた太平洋の水平線が、あこがれてやまぬ新疆のタクラマカン砂漠に見えたからだという。
もちろん魅かれる背景には中国という国の大きさがある。多民族の文化から生まれる約束事≠ヘ日本とは違う。そして中国の今歩いている道は、30年前に自分たちが歩いた道だ。わき目もふらず歩いた道の記憶は定かではない。それを現代中国の姿を見ることで確認しているようなところもある。
上海を舞台にした国際万国博覧会が始まった。会場の準備光景がメディアで続々紹介されていた。
まさにこの5年ほどの間の上海の発展振りは目を見張るばかりである。世界一の展望台から見下ろすビル群は、これも世界bPの迫力。今と未来とそして昔が混同する不思議な感覚にとらわれる。
これが「発展」の本質なのかと目を凝らすと、昨年、旅した新疆ウルムチの様子が思い出された。国際バザール二道橋の人波と、道路にうずくまる明らかに増えた物乞いをする人びとの姿である。
発展、進歩の掛け声がさまざまな格差を生んでいく現実。それを病気にたとえるなら、日本の方が病んでいる。「同じ道を歩んでほしくない。世界の大国ですから、中国は」と結んだ。(M)