私と中国〈793〉
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中国帰国者・残留孤児
松田 桂子さん
温家宝首相の前で「説句心里話」を歌った |
「私には実は二つの家がある。一つは日本にあり、もう一つは中国にある…」。桂子さんの心をこめた熱唱に、温首相は涙ぐみながら聞き入った。
桂子さんは、昨年11月「養父母に感謝する旅」に参加。温首相に面会する前に、長く過ごした第二の故郷・ハルビンに行き、帰国を諦めたある「残留孤児」を訪ねた。そこで、この歌「説句心里話(シュオジュシンリーホワ)〜心からの言葉」を歌った。その孤児はもとより、メディア関係者も含め参加したすべての人が泣いた。仲間の勧めで、温首相の前で歌った。
桂子さんは、日本で生まれ3歳でハルビンに渡った。実の親と生き別れ、雑貨商を営む養父母に育てられたが、13歳のとき、貧困がもとで養父母が相次いで死去。学校は小学校3年までしか行けなかった。養父の兄に引き取られ、山東省で農業に励んだ。成人し結婚。ソ連との国境地域の黒龍江省虎林県に行き、木材加工に携わり、事故で3本の指を失ったが、50歳まで働いた。いまも日本の出生地、父母の名前も分からない。
1980年、肉親探しが始まったことを知り、「日本の父母に会いたい」との想いが募ったが、「文化大革命」の恐怖から名乗ることができなかった。念願かない1990年、中国人の夫、娘と帰国し、後に息子も来日。いまは孫5人と幸せである。
桂子さんはさらに歌う。「祖国にもどったが、中国のお母さんが恋しい。帰国した兄弟たちよ、絶対に中国のお母さんを忘れないで…」。「残留孤児」すべてが同じ心境に違いない。(O)