私と中国〈767〉
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元解放軍兵士 福島支部会員
森 清さん
一生続けたい 日中友好運動 |
1942年に日本軍兵士として中国・青島に派遣されました。八路軍と交戦中負傷し、同軍の日本人民解放連盟の人びとに助けられて治療を受けました。
八路軍のことはよく知りませんでした。しかし、日本軍兵士に対して「死んではならない」と呼びかけていること、日本軍や国民党軍とは違っていて規律正しく、「民衆のものは針一本奪ってはならない」と命じるとともに実行していたこと、時間があれば農作業の手伝いをしていたこと、などを見て気持ちが変わってきました。
病気治療後は八路軍に協力するようになり、日本敗戦後も頼まれた鉄道管理の仕事をしつつ、新中国建設に協力してきました。
1953年、最後の引き揚げ船で帰国。奥さんの故郷、福島市で定年退職まで働きました。日中友好協会福島支部にも直ちに入会。
文革の時も数人と、協会が正しいと確信してとどまりました。1994年の福島支部再建にも大きな役割を果たし、その後も中国語教室、平和のための戦争展、交流会などの成功のため尽力しています。
福島市内の工場などで研修名目で働いている中国人たちの相談に乗っており、「好爺爺(良いお爺さん)」と頼りにされています。
2006年、「新中国建設に貢献した人」として、中国政府に招待されました。森さんは健康上の理由で行けませんでしたが、仲間の人びとは心温まるもてなしを受けたそうです。「一生日中友好運動を続けたい」と心に期しています。(長尾文枝)
1923年、栃木県佐野市生まれ。福島市在住。