私と中国〈764〉
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弁護士
川上 詩朗さん
平頂山に「謝罪の証(あかし)」を |
いま、9月13日の「撫順―加害と再生の地から現代と未来を考えるシンポジウム」の準備に大忙しです。
1932年9月16日早朝、撫順炭鉱に近い平頂山村を日本軍が襲い、3000人を虐殺した「平頂山事件」。生存者4人が日本政府を相手に損害賠償と謝罪を求めて裁判を起こしましたが、一昨年5月、最高裁は「国家無答責」をもって退けました。
裁判は終わりましたが、弁護団として活動してきた川上さんら弁護士や支援者たちは、「この問題の解決なしに日中の真の和解はありえない」と、今回のシンポジウムを企画。
「日本政府の代表が虐殺の事実をきちんと認め、被害者の心に伝わるように、一人ひとりに誠意をもって謝罪して欲しい。従軍慰安婦問題の『河野談話』の例もありますから、そんなに難しいことではないはず。謝罪の証として、平頂山に碑や陵園を造ることが考えられます」
シンポジウムには中国から9人が来日予定。川上さんはそのなかの王質梅さん(87)に注目します。
「これまで来られた方は、加害の国へ行くということで、日本へ来る前はかなり緊張していましたが、来日して私たちと交流することで、日本や日本人を好きになってくれた。初来日の王さんもそうなっていただき、日中友好の絆が深まれば」
1958年、北海道白老町生まれ。「自分の子どもとも重なり、そんな虐殺が起こる世の中には絶対してはいけないと、この問題を自分のライフワークにするようになりました」
(F)